2010年6月30日水曜日

山間の交換駅神戸(ごうど)


わたらせ渓谷鉄道主催の
「足尾銅山の産業遺産と廃線跡ハイキング」に参加した。
足尾線の時代の1969年ごろ、
なんども、この沿線には足を運んでいる(桐生から神土(神戸)・草木・沢入あたりまでは・・)。
でも、間藤や足尾までは、本格的には行ったことはなかった。
この日、間藤からの帰り、神戸(ごうど)で交換するDCを撮ったのが、この写真。
夕方、しとしとと雨が降り続いている
「山間の交換駅」の雰囲気がでた1枚になった。
2010_5_29 「わ鉄(鉄は本来は旧字体)」DC車内から撮影。

稚内で「スーパー宗谷」を迎える


最果ての稚内駅に宿泊先のホテルから深夜でかけた。
少し遅れた「スーパー宗谷」が到着した。
数名のお客さんが下車したあと、
制服を着たキャビンアテンダント(車掌さん?)が
業務を終えホームに降り立った・・・。
2009_9_3 稚内で撮影。

日鉄羽鶴の1080


最近、京都の梅小路機関区で安住の地を得た1080。
はるか40年前の1969_2_4 、栃木の日鉄羽鶴に出かけた。
確か、火は入っていなく、静態保存状態だった。
このときは、いい位置に置かれていないので、まともな形式写真は
撮れなかったが、「明治の蒸機」の威厳さがあった。

ぜいたくな話(D51)


山間の小さな駅、上目名。
C62重連の「ていね」、「ニセコ」を撮影に何回となく訪問。
小樽寄りと長万部寄りと、「ニセコ」の通過に合わせた。
写真のようなD51は本命ではないので、当時は
「ついで」で撮っていた。ぜいたくな話だ。
1967_7_19 函館本線上目名で撮影。

2010年6月29日火曜日

高尾山臨をひくC58


八高線の高尾山臨時を
C58がけん引。
人影が写っていないので、このあと
お客さんが乗車するのかもしれない。
朝の光を受け、シルエットぎみの絵作りになった。
1969_2_3_群馬藤岡付近で撮影。

アウトカーブふかん構図からのEF53


こちら「岩鼻」地区。
下り高崎線の新町から烏川を渡ったところ。
その後、烏川橋梁が架け替えられたため、
この複線の路線は変更された。
EF53の走行写真はそれほど多くなく、
せっかくのチャンスなのに、被写体ブレが見られる。
1967_1_17 新町-倉賀野間で撮影。

上野公園のモノレール


モノレールも鉄道趣味の対象だろう。
未来の乗り物として、夢があった。
跨座式と懸垂式などがあったと覚えている。
この上野公園のは、懸垂式。その後、全国にどちらかの方式で
建設が進められている。
1961_4_30 撮影。

他の面のヘッドマークは、準急「ゆのさと」?


このころの、優等列車にはヘッドマークが掲出されていた。
これは準急「あかぎ」だが、他の面を開くと
何だったのだろうか?
65年当時の時刻表で調べると、
前橋発の上り「あかぎ」の上野の折り返しが、
水上行き下り「ゆのさと」で、
水上からの上り「ゆのさと」が、上野発の前橋行き
下り「あかぎ」であることが分かった。
その結果・・・・
ヘッドマークの他の面は、準急「ゆのさと」だと推察できた。
もっとも、このマークの形状からすると、まだ、折りたためるで、
もっと他の準急の名前が書かれていたかもしれない。

1965_3 ごろ。撮影場所は上野。

疾走する211系の夜間撮影


修行の甲斐あって
ようやくベストショットをものにしました。
毎日毎晩、22時30分から22時50分ごろまで、
「あけぼの」を対象によなよな出かけた結果です。
まだ、あけぼのベストは撮れないままですが・・(汗)。
暑い、寝苦しい夜に出かけると、
この広い造成地に吹き抜ける、そよ風を感じます。
まだまだ、ベストをめざして通います。
2010_6_24 いつもの高操でiso6400で撮影。

2010年6月28日月曜日

吾妻渓谷の原風景


紅葉のベストシーズンに撮影が出来れば「ラッキー!」。
この年2008_10_29 の場合は、今一歩、物足りないベターって感じだ。
八ツ場ダムでこの辺は水没が予定されていたので、何度も通いつめた。
今、川原湯温泉駅を発車した185系「草津」。このあと、吾妻川橋梁を渡る。
白糸の滝を眺める遊歩道の「滝見橋」も写っている。
写真中央の製材所のタンクは、撤去され今は無い。
ダム関連工事の関係で、この風景の一部はもう見られなくなった。
吾妻線川原湯温泉-岩島で撮影。

夕陽に向かう上信500形


上信電車も地元の鉄道だ。
このシルエット構図、色々な鉄道写真家も発表している。
私も参考にしました。
ヨーロッパの美術館でよくやっている「模写」みたいな感じかな?
夕陽の方向に上信のクモハ503が往く。
「7D」の連写なので、電車の位置はこれより少し前、少し後と何コマも撮影している。
実際どの位置がベストショットなのかよく分からないのが、つらいところ。
2009_10_14 南高崎-根小屋間で撮影。

花道の急行「能登」


再びボンネット急行「能登」のアップ。
今度のは、高崎駅を発車し、左曲線にさしかかった上りを撮影。
3灯のヘッドライトに照らされた「線路」の反射が印象的。
花形役者が「しずしず」と花道をわたっている雰囲気だった。
地元の人はここを「タカバシ」と呼んでいたところだ。
未明の撮影場所は、暗い。
以前ここでは、人身事故が何回かあった場所。
ちょっと、コワイ場所であるが、勇気を奮って何回も通った。
2010_2_17 高崎-倉賀野間のタカバシ下で撮影。

市役所からE4系を撮る


高崎市役所の展望ホールからの上越新幹線。
2階建てのE4系が高崎駅を出たあと、
大きな左カーブを通過するところだ。
ガラス越しなので、ちょっと精細度は劣るが、
次々にやって来る新幹線を眺められる「最高!」の撮影地。
2009_3_29 高崎市役所展望ホールの東側の窓より撮影。

「複線左頭」構図でEF66を撮る


2010年3月のダイヤ改正で、
EF66が高崎(倉賀野)までやって来るようになった。
近場でよい撮影地探しをしたが、
結局、ここ埼玉県境まで来てしまった。
さらに、「複線右頭」の構図をさがしたが、
逆光にならない「複線左頭」の構図となった。
2010_4_9_高崎線神保原-新町間で撮影。

国府津機関区のD52


D52を見に国府津機関区へ。
転車台上のD52を撮影。区名札は「沼」津が差されている。
関東近辺で、こんな大きな蒸機が見られたなんて・・・
今と違って、撮影ガイドもなく、撮り鉄初心者なので、走行写真も
国府津の駅近くで撮っただけであった。
なお、今、高崎からは国府津行きの直行快速、湘南新宿ラインが通っている。
1966_7_11 国府津機関区で撮影。

貨物列車をひくEF70


北陸での鉄研の合宿に参加し、
北陸本線のEF70を撮影。
この70、当時の日本の交流機ではもっとも強力だった。
前照灯が2灯の70もあるがこれは1灯。
客貨両用であるので、客車をひいている写真も見かけた・・。
1967_8 北陸本線余呉で撮影。

正面3枚窓の湘南電車


80系湘南電車の正面2枚窓は一般的だが、
3枚窓はめずらしい。
家の近くで撮影することが多いが、
これも、高操の西の踏み切り近くで撮ったもの。
列車番号が奇数なので、高崎線の下り列車だ。
また、逆光で撮っているので、時刻は夕方ではないだろう。
1963_3 倉賀野-高崎の高操で撮影。

2010年6月27日日曜日

冬の北海道へ


JAL旬感旅行のパックで、釧網本線の撮影の旅へ。
ステキな講師と一緒で、とても有意義な撮影行でした。
ここ塘路以外に、
標茶、茅沼、札弦、止別、北浜などでも「傑作?」をものにしました。
2010_1_30 塘路-茅沼でSL冬の湿原号を撮影。

ピカピカのEF62


ピカピカのEF62。
「わが撮り鉄」人生的には、一番なじみのある電機。
碓氷峠越えのために新製されたEF62は
高崎第二機関区に配置された。
配置当時は、このように「茶カマ」色で、
ボディその他も、新車のかおりが漂っている。
写真的には、パンタが上がっていないのが難点か・・。
1963_7 高崎第二機関区で撮影。

高二の転車台


高崎第二機関区(高二)の「転車台」。
ここには、かつては蒸機や、EF55のように
方向転換が必要な電機も配置されていたので
「必須の」設備。
2010年の今も、高崎車両センターのD51が利用している。
撮影は、1962_10ごろなので、もう、48年も前のことである。

2010年6月26日土曜日

広島駅のC62


三脚を使用しバルブでC62のキャブ付近を撮影。
この15号機は呉線電化以降、
北海道に渡って、ニセコをけん引した。
呉線のC62の撮影は、
ここ広島駅のホームだけだったのは残念。
広島は、大学の鉄研の合宿の際、立ち寄ったもの。
1966_8_25 広島駅の呉線ホームにて撮影。

夕陽とEF210


夕陽を背景にした写真に挑戦。
さまざまな条件の一致がもたらす最高の1枚?。
EF210のシルエットは、夕陽によく似合う。
2010_2_19 JR高崎線新町-倉賀野で撮影。

通勤列車を牽くC62の2号機


渡道して最初に北海道らしい風景に出会うのが「大沼公園」。
朝の上り通勤列車128レをC62の2号機が牽く。
1970年8月19日 函館本線大沼-仁山で撮影。

さようなら 伊勢崎駅地平ホーム


両毛線伊勢崎駅周辺の高架事業の完成により
地平ホームは本日5月29日まで使用され、
深夜の線路切り替え後、高架に移行した。
下り桐生方面行き湘南色115系がホームに進入します。
この光景は歴史のかなたに・・・・。
2010_5_29 JR両毛線伊勢崎駅地平ホームで撮影。

キハ81系「はつかり」


東北本線滝沢の築堤で撮ったキハ81系「はつかり」。
客車時代の「はつかり」は記憶にない。
この81系は東北本線の電化以降、上越・高崎線経由で
「いなほ」として走っていた。
東北本線滝沢-長根信号場間で撮影。

2010年6月25日金曜日

「あけぼの」の後追い撮影


「あけぼの」の後追い。
青森には明日着く。
この前、北海道に飛行機で行ってきたが、
1時間半程度の飛行時間だった。
それに比べ・・・この「あけぼの」は
何時間かかるのだろうか。寝台特急の存在意義は?と、ふと考えてみた。
高操通過時刻、22時40分。
2010_6_24 高崎操で撮影。

2010年6月24日木曜日

ヘッドマーク付きC62「ゆうづる」けん引機


C62のファンは多い。
C61やD51,C57、D60なども好きだが、
やはり、C62だ。
中でも、ゆうづるヘッドマークの付いたC62。
今回は昼の撮影だが、後日、夜の撮影も行っている。
腕には、「見学」の腕章を付けて撮影しまくった。
いい時代だった。
1967_3_ 常磐線平機関区で撮影。

廃車予定のED42たち


ED42は、なじみのある電機でした。
というのは、家の西、数百メートルのところに、
写真のように、何ヶ月も廃車予定の42が留置されていたのです。
雪の降る日をねらって42たちを撮影。
もちろん、現役時代の元気な姿も知っている・・・。
晴れた日には、ステップに乗ったり、
中をのぞいたりして、弟たちと遊んでいました。
1965_1 ごろ 高崎第二機関区東の非常機走線にて撮影。

吾妻渓谷を行く湘南色の115系


八ツ場ダムで揺れる吾妻渓谷。
JR最短の樽沢トンネルを行く湘南色の115系。
紅葉真っ盛り。
ダムができても、できなくても、
「線路の付け替え」があれば、この路線部は
消える運命にある。
2007_11_4 JR吾妻線 岩島-川原湯温泉で撮影。

ボンネットの赤い幅広帯(181系)


このブログに「ボンネット特急・急行」の話題は、何回か登場している。
昭和40年3月25日のダイヤ改正時の
下り「第一とき」を高崎駅で撮影。
東海道新幹線の開業半年後だ。
この181系のクハ、新車のせいか屋根までピカピカ。
ただ、クハのボンネットの赤い帯が従来に比し、幅が広いことに気づく。
この「帯の幅は太すぎる!」と感じたのは私だけではないだろう。
1965_3_25 撮影。

2010年6月23日水曜日

女性的な雰囲気のEF56


高崎第二機関区に配属されていたEF56。
車体の角にRが付いていることから、
なんか、女性的な雰囲気を持っている電機だ。
残念なのは、この写真では正面運転室周りが何かで汚れていることだ。
もう一つ残念なのは、ピントが甘いこと(ホトショップでシャープをかけているが・・・)。
EF53ほどなじみはないが、好きな電機の一つ。
後方の建物は、「沖電気」。
高崎第二機関区前の機走線付近で、1967_2_4 撮影。

高操での脱線事故


高崎操車場では、ハンプ(丘)から、貨車を突放(とっぽう)して、
惰性で走らせ、掛が貨車に飛び乗ってブレーキをかけ、方面別に組成された貨物列車に次々と連結していた。
新聞の切り抜きなどの資料がないので、事故の詳細は不明だが、何コマかの写真を見る限り、貨車がハンプ下で、脱線していた。
操重車「ソ」も登場し、貨車を吊り上げて復線していた。
壊れた貨車の積荷を運んでいる職員もいた。
写真はD51のテンダー側から撮影したもので、当時、「高崎操初の大事故」と報道されていたと記憶している。
近くに住むものとして、関心のあった事故だった。
1965_10_12 撮影。

蒸気を噴くEF57


大学進学が決まった春、新潟や大阪に、と言っても
「駅撮り」専科といった安易な撮影行を敢行。
上野駅にも立ち寄り、EF57を数コマ撮った内の一こま。
まだ、3月末なので、青森行き急行を牽く57の暖房ボイラーからは、蒸気が噴いている。
曇りか日陰のせいか、コントラストが弱いが、無骨な57の雰囲気は出ている。
1966_3_末日 上野駅で撮影。

狩太での失敗作(C62重連)


C62重連を撮りに結構あちこちに。
7月20日、ここ狩太(今はニセコ駅?)付近での撮影を選択。
下り坂、アウトカーブ、先頭の補機は期待の2号機。
上りニセコは軽快に16パーミルの坂を下って行った。
夏の緑がむせるニセコの山中。
だが、・・・135ミリの望遠はピントはずれ。
(後処理でシャープをかけてみたけれど・・・。)
当時から結構連写をしていたが、今持っている「7D」があれば、Aiサーボで、こんな失敗はなかった・・・。
場所選び、ピンボケ、技術不足など、失敗作の紹介でした。
1967_7_20 狩太付近で撮影。

中央特快のスタートに立ち会う


「さよなら、中央快速線オレンジ電車」
の記事が2010年6月21日発売の「RMの8月号」に載っている。
消えるのは201系・・。
時は、1967年の7月3日に戻る。
この日に、中央特快がスタート。
東京駅での、テープカットに立ち会った。
看板や造花をホームで取り付け、このあと
東京鉄道管理局長のテープカット。
オレンジ電車101系特快のスタートは、ますます遠いかなたの出来事に。
この写真、東京駅で撮影したが、まるで「プレス写真」並みの出来ばえかな?

2010年6月22日火曜日

この写真いつまで撮れる?


「高崎操車場跡地開発」で区画整理が行われている。
そのせいで、今では、結構広い区域が更地になっている。
今後は、建物ができ、駅も出来き、激変するはず!。
このような写真はいつまで撮れるだろうか?
八高線の下りDCが高崎操を通過する。
2010_6_21 高操で撮影。

いいスタイルの211系


通勤電車も、こう見上げるといいスタイルしている。
機能美というのだろうか。
順光より、このように逆光で撮ったほうが、
印象をより強くさせます。
画面左は妙義山。
2010_6_16 倉賀野-高崎間(高崎操)で撮影。

2010年6月21日月曜日

ラッキー!原生花園でキハを撮影


原生花園で鉄道写真が撮れました。
3泊4日の北海道旅行の途中、JR北海道に電話して、停車時刻を調べたら、
丁度、私たち団体の観光時間と重なっていました。
「ラッキー!」
キスゲはまだでしたが、ハマナスは咲いていました。
知床連山も少し薄いけれど、見えました。
今年の1月末以来2度目の訪問です。
2010_6_18 釧網本線原生花園駅付近で撮影。

2010年6月16日水曜日

ステキなダイヤモンド(231系)


夕陽が231系の窓に差し込んで、ステキなダイヤモンドをプレゼント。
秒8コマの連写の中の1枚。
「Canon 7D」が実現。
太陽の高さ、角度、列車の通過時刻、窓の形状などの一致がもたらした一期一会の出会い。
2010_3_30 新町-倉賀野間の烏川橋梁下り線を撮影。

運転士さんのシルエット(EF64)


ココロ温まる写真を撮りたい。
たとえば、機関士や操車掛りさんなどの働く姿で、うまく表現できないだろうか。
でも、何度も挑戦しているが、ココロ温まる傑作写真はまだ撮っていない。
「あけぼの」を牽くEF64の運転士さんの横顔が、一瞬シルエットになった。
2010_6_12 いつもの高崎操で撮影。

あこがれの「こだま」


あこがれの「こだま」。
2M第一「こだま」は、13時30分に9番線に到着。
大阪寄りの後尾車(先頭車)は、展望車、クロ151。
8番線の時計は13時38分を指している。
電車特急最盛期の1枚。
2年後の新幹線の開業で、これらの東海道本線の電車特急は、消えていった。
1962_8_17 東京駅で撮影。

2010年6月15日火曜日

C62重連小樽を発車


札幌からの急行「ていね」。急坂の続く山線経由で函館をめざす。
それまで晴れていた空が急に灰色に。ふぶいてきた。
汽笛2声。
C62重連は小樽を後にした。
1967_3_29 函館本線小樽で撮影。

481系を名古屋まで見に行った


489系急行「能登」と同じボンネット型の481系。
「こだま」などの151系との区別のため、スカートは赤一色。
北陸特急「しらさぎ」は、「雷鳥」とともに1964年12月に登場したので、ボディはまだピカピカ。
どうやって名古屋まで行ったのか?記憶はあいまいだが、
どうやら長野経由で往復したようだ。
画面の左には、懐かしい80系が写っている。
1965_4_4 名古屋駅で撮影

かっこよく撮れたEF210


EF210の横顔が好き。
高崎線の烏川橋梁を倉賀野に向けて走行。
荷はOIL。
このOIL列車、倉賀野の石油基地が最終お届け先。
西の太陽を横に受けて撮れる季節は限られている。
この日、すばらしい夕景に支えられて、210はかっこよく撮れた。
2010_1_29 新町-倉賀野で撮影。

ボンネット急行「能登」


夜間走行中の急行「能登」を撮影。
EF64の「北陸」と違って、このようにほぼ正面から撮っても暗くならない。
ボンネット型で、3灯のヘッドライトのせいだろう。
この春まで、毎日定期列車として、一往復していたが、
深夜帯の通過なので、撮影には苦労した。
最初は朝方の上りをねらったが、
廃止直前時には、次第に下りもねらうようになった。
写真は、高崎-倉賀野間の上りを2010_1_29に撮影したもの。
「能登」のヘッドサインもよく写っている。

2010年6月14日月曜日

消えたEF64形1000番台の重連(上越線)


JR貨物高崎機関区のEF64は、今春のダイヤ改正で全機、愛知機関区に移動した。運用で、高崎線組として高崎機関区で、相変わらず見かけることができるが・・・。
この写真の64の上越貨物重連は、ダイヤ改正前の撮影で、午後3時前後高崎操発の2本のうちの一本。
今はこれら上越貨物は、EH200に置き換わっていて、原則、64の重連は無くなってしまった。
2010_1_24 高崎線 高崎操-高崎間で撮影

ゴハチの「はくつる」


EF58がブルートレイン「はくつる」を牽いて上野駅に到着。
この58、たしか、ボディはブルーで、下部はクリームのツートンだったと思う。
この日は、このあと東京駅にも行って、0系の新幹線、157系の「伊豆」などを撮影している。
1965_1_2 上野駅で撮影

165系の出会う駅(高崎)


手前は304M「第二信州」、向こう側は703M「第二佐渡」で、共に165系。
時刻表で調べると、10時45分前後の撮影と思われる。
上信越線の出会う駅、高崎ならではのカット。
703Mの助士席の乗務員と話している人のおどけたしぐさがおもしろい。
1966_3_高崎駅で撮影

雪の日の踏み切りとC58


自宅近くに踏切があった。(今は跨線橋になった)
あたりまえだが、列車が接近すると「バッターン」と
警手さんが遮断機を下ろした。
下り線は結構早くから自動化され無人となったが、
上り線と引き上げ線の踏み切りは、跨線橋の完成まで生き残った。
今、雪の日の下り線を両毛線(八高線)のC58の貨物が通過している。
1966_3_高崎操で撮影。

80系とススキの穂


80系湘南電車が高崎第二機関区(高二)脇を
走る。
手前にはススキの穂。
1等車が連結されていることから、「準急」かも。
日常の何気ないシャッターであった。
写真右には、高二のEF62とEF15の姿も写っている。
1964_10 倉賀野-高崎間で撮影。