2010年7月31日土曜日

11時間で大阪へ行けた82系「白鳥」号


このころ、82系の下りの「白鳥」は、高崎を10:07に出て、大阪には21:07に到着していた(なお、直江津からは、上り列車扱い)。
11時間で、大阪に行けたのだ。
相変わらす高崎操付近は、撮り鉄少年の「修行の場」だった。
編成写真としては落第だが、高崎操の情景がわかる風景写真としては、及第点か。
1962_12_撮影。このときの年齢は14歳。

2010年7月30日金曜日

C58102、高崎操を発車


「高崎操」周辺は、鉄道趣味を育ててくれた場。
このとき1967_9_ごろは、蒸機あり、旧型電機あり、新型電機ありの時代。
C58が高操を今発車!両毛線なのか、八高線なのか。
こんな場面を毎日見聞きして育った。

編成写真の復習?を敢行


昨日と同じ「神・新(じんしん)」へ。
今日は昨日と変わって夏本番。半そでの腕が日焼けしたほど・・・
中井精也さんの「安全に撮れる鉄道写真超入門」を購入して二週間。
もっか「編成写真」の復習?を敢行。
EF64、EF65、E231系、211系、EF66などが次々にやってくる。
ここの弱点は、白いガードレールとショッピングセンターの建物、そして直線かな?
結局「直線・左向き」で標準50ミリ相当で撮影したが、電線の影が写り込んでいたり、前後がギチギチなので、80点程度の出来・・・(汗)
2010_7_30 高崎線 神保原・新町間で撮影。

 

2010年7月29日木曜日

EF64重連6789レ


このブログに何度か登場している6789レ。
高崎操まで、EF64の重連。
その後、EH200に交代して上越国境を目指す列車。
久々に、梅雨空がもどってきた神保原ー新町間にでかけた。
ときおり、小雨がぱらつく間、防雨でない7Dの18-200mmレンズをかばいつつ撮影。
雨が激しくなってきたので1時間ほどで、撤収して帰宅としました。
2010_7_29 ニューなのはな:485系を撮りに行った際、撮影。

最新鋭機EH200


夜のEH200。
2010_7_26 いつもの高崎操で撮影。
日本の電気機関車のスタイルの中では、特異な存在。
今年落成した機もあるので、いわば最新鋭機。
これから40年先までは、活躍してくれるだろう。

2010年7月28日水曜日

原生花園を行く単行DC


2010_6_18に釧網本線の原生花園で撮影。
花はほとんど咲いていなかったが、
それでもハマナスは線路際に咲いていた。
右はオホーツク海。
冬の寒さを今年体験しているので、
撮影日の6月はとてもさわやかないい気候だった。

ボンネット特急「やまびこ」


ボンネット特急「やまびこ」。
489系のTDR臨時をついこの7月に撮影している。
1967年のころは、特にボンネットがと意識しないままだった(あたりまえかな)。
43年後の今日、あらためてこの「やまびこ」の写真を見ると、「月日は過ぎたんだなー」と
思った。
1967_3_4 上野駅で撮影。

2010年7月27日火曜日

C61がD51の補機で8月の岩手山麓を行く


1967_8_6
東北本線長根信号所-滝沢間で撮影。
夏の暑い日。しかも8月6日。
青森行きの急行だろう。C61にD51が補機についている。
夏のせいか、蒸気は見えず、煙は濃くない。
バックには岩手山。
いい撮影地でした。
あの頃にはもう戻れない・・・。
撮り鉄人生の内の貴重な一枚だ。

2010年7月26日月曜日

もうすぐ終点高崎(E231系)


E231系の普通電車が東京から帰ってきた。
もうすぐ午後11時。
f2.0 1/125 ISO6400 電球モード、EF50ミリ、EOS7Dで、真横から流して撮影。
室内の露出はオーバーだが、周りは暗いので露出不足になる。
なお、天地は真っ黒なので、上下をトリミングでカットした。
2010_7_25 いつもの高崎操で撮影。

これがC622号機の「つばめ」


C62形の2号機の左右のデフに、
ステンレスを切り抜いた「つばめ」のマークが付いている。
これは、左側のデフの「つばめ」のマーク。
これほど近づいては、なかなか撮れないものだが・・・
長万部機関区で、ニセコの補機の折り返しの間合いに撮影。
1968_4_4

2010年7月25日日曜日

元気なEF551


パンタが上がったEF55形の1号機を間近に「仰いだ」。
1年前の1月に引退した1号機だったが、
まだ、外見はこんな元気だ。
1936年生まれの「流線形」は74歳。
2010_7_24 高崎車両まつり で撮影。

ボールドウィンの煙


沼田市の「根利(ねり)森林鉄道まつり」。
ホイットカムのGLが動いた!
ボールドウィン3号機の煙突から煙が出た!、
(でもボールドウィンの煙は「スモーク?」だそうです・・・(汗))
森林鉄道のトーク・・・。
とても興味深いイベント。
今秋には、このボールドウィンが群馬県で開催される「全国育樹祭」で公開される。
2010_7_25 来賓やスタッフの皆さんの記念写真を横から撮影。

2010年7月24日土曜日

久しぶりの489系旧能登編成


3月のダイヤ改正で489系急行「能登」が臨時化されて以来、
489系を見たことがなかった。
今日、舞浜行き臨時が通過したので、久しぶりに撮影。
この構図、40年以上も前の「とき」の試運転時の写真と似たものになった。
2010_7_24 いつもの高崎操で撮影。朝、5時過ぎだった。

2010年7月23日金曜日

キハ57風の休憩室


上信越道の上り横川SAにキハ57風の先頭および客室内の休憩室がある。
今日、初めて見たが、この休憩室で「峠の釜飯」を食べると、往年の横軽の雰囲気が味わえるねらいとのこと。
実物のキハ58の一部を再利用し、客室は一部新調したようだが、
実際のキハ57とは、デッキ等がなく、まさに「キハ57風」って感じ。
なお、わが父は定年時には、この横川で助役をしていた。
2010_7_23 撮影。

たくさんの柿が実っていた吾妻川橋梁


「八ツ場ダムができると、ここ吾妻川第三橋梁は水没する。
だから、この風景は永久に戻ることはない。」・・・・
3年前からここ、川原湯温泉駅付近の撮影に取り組んでいる。
2009年の政権交代から、ダム本体の建設は中止になった。
だが、岩島-川原湯温泉間のトンネル・線路敷設は相当進んだようだ・・・。
いったいどうなるのだろうか。
2007_11_11 JR吾妻線 川原湯温泉-草津温泉口間で撮影。

2010年7月22日木曜日

雪煙


今年1月末の「JAL旬感ツアー」に参加。
夜明け前に起床したり、雪をラッセルしたりして、釧網線の
撮影地をめぐって「感動的な作品?」を各自ものにした。
この写真は、止別-知床斜里間のオホーツク海に面した場所。2両のキハ54などが雪煙を残して通過した後追い。
縦位置で撮影したので、真四角にトリミングをしてみた。
2010_2_1 撮影。

急行「あおば」の大きなヘッドマーク



交直両用の451系。
急行「あおば」は、こんな大きなヘッドマーク(サイン)を掲出していた。
なお、「あおば」の表記は、弘済出版社の時刻表では「青葉」と漢字になっている。
当時の時刻表で調べてみると、仙台行き昼行電車急行はこの33Mの「青葉」のほか、先行した31M「みやぎの」があっただけだった。
1963_8_6 東北本線黒磯で撮影。

「瀬野・八」用のEF592に改造されたEF539


EF53形の9号機。1962_12ごろ高崎第二機関区で撮影。
後ろには、暖房車が連結されている。
この9号機、翌1963_12にEF59形の2号機に先行改造されたそうだ。

2010年7月21日水曜日

999号の走っている上信電鉄



上信電鉄に「999(スリーナイン)号」が走っている。
この年2009_10_18 に上州富岡で、999号を囲んだイベントがあり
はるばるバイクで出かけた。
駅構内に停車・展示していた999号の前で、アニメの登場者のコスチュームを着けた3人を撮影したり、いつもの佐野橋で、ヘッドマークを掲出した999号を撮影した一日だった。

2010年7月20日火曜日

夕日の中の上信電車


夕日を背景にしたシルエットの上信電車を撮ろうとして、烏川橋梁へ通った。
夕日を進行右前に見る構図だか、毎回、天気が変わるので、撮影に飽きることはない。
今回のは、四角形にトリミングした。
2009_10_8 上信電鉄南高崎-根小屋間で撮影。

43年前の夜間走行写真(常磐線のC62)


常磐線の平以北の電化開業を控え、夜間走行写真に挑戦した。
こちらに向かって来るのでなく、後追い撮影。
残る煙や蒸気、客車内の明かりが、旅情を感じさせる。
急行「第一十和田」を牽いていたのはC6223号機。
デジカメでも、よく撮れない場面を、43年前に、しっかりものにした作品。
1967_9_9 常磐線平機関区脇で撮影。

2010年7月19日月曜日

「北斗星」カットでないけど・・・


「北斗星」「カシオペア」の上越・羽越・奥羽線迂回のニュースを今一歩早く知りえたならば、
この「あけぼの」のような「北斗星」カットが撮影できたはず。
今日19日の「北斗星」に期待したが、北上線経由との発表が、午前10時過ぎにはあったので、がっかり・・・
なお、このカットは2010_7_8 と同じ場所でのものだが、今回のほうが出来がよい?
2010_7_19 いつもの高崎操で撮影。

市庁舎の見える踏切を通過するD51498


「EL碓氷」の最後尾にD51498がぶら下がっている。
信越線の北高崎駅西の「三国街道踏み切り」で撮影。
遠くに高崎のランドマークの市庁舎と、踏み切り前で斜めに停車した路線バス。
2010_7_19 の「今日」を伝える一こまになるか?

2010年7月18日日曜日

9600のシルエット


9600をシルエットで浮かび上がらせた。
高崎第一機関区も、しばしば訪問している。
ここの9600は高崎操の入れ替え用として配置されていた。
そのため、家のすぐ前の線路を行ったり来たりしていたのを思い出す。
1969_4_29 撮影。

2010年7月17日土曜日

転車台上のD51498



何年ぶりだろうか?
高崎第二機関区(今は高崎車両センター高崎支所とか高崎機関区というらしい)
を訪問した。
D51498がEF60とともに横川から帰ってきたのだ。
久しぶりに見た転車台、その上に乗るD51。
機関士さん、お疲れさん。
2010_7_17 撮影。

線路際を照らしながら・・


木漏れ日でなく、窓から漏れた照明で線路際を照らしながら、
211系普通電車が走り去った。
2010_7_16 いつもの高崎操で撮影。

猛スピードで185系通過


あたりまえだが、梅雨時は、雨が降っていることがしばしばあった。
そのため、出かけられないことがあった。
今夜は大丈夫!!。
長靴を履き、少しはやめにでかけたら、185系が猛スピードで通過した。
シャッタースピードを1/15に落として撮った一枚。
2010_7_16 いつもの高崎操で撮影。

2010年7月16日金曜日

C623+C6232の迫力


C62重連の発車。
先頭の補機は3号機、本務機は32号機。
発車の迫力に感動して、ここと、倶知安には何度も立ち会った。
こんな、駅構内なのに撮影ができた。なんとも
今考えれば、「夢のような」話だった。
1968_7_17 函館本線長万部で撮影。

2010年7月15日木曜日

EF64の重連


6789レ。今春のダイヤ改正で64の重連が高崎操まで実現した。
このあと、EH200に交代し、上越国境をめざす。
高崎操到着直前の64重連を流し撮りした。1/125のシャッターであることと、停車寸前の遅い速度であるので、背景のぶれはほとんどない。
2010_7_15 高崎操の南側から撮影。

センター試験模擬試験問題


1969_9_12 佐倉機関区銚子支区で撮影。センター試験風の質問です。
問い レンガ倉庫のガラス窓に写っている蒸機は、次の①から④の中のどれでしょうか。数字で答えなさい。
① C58
② C57
③ 9600
④ 8620
この日、ここ銚子で大学の鉄研の同期生の合宿があったのです。

動止フォトまがい?EF64



広田尚敬さんの「動止フォトグラフ」は
一両全部を走行中、真横から流し撮りし、背景は流れているが、車輌はあたかも止まっているかのようでもある。
これを夜間やってみたら・・・・
一両全部を照らすためには、20メートル以上の明るいところが必要だが、
まあ、やってみました!!
夜間なので、暗いところがあるのはやむを得ないが・・
これから練習・訓練をくりかえして、bestを目指します。
写真は、高崎操に到着後、EF64の1000番台が高崎機関区に引き上げるところだ。
2010_7_14 高崎操で撮影。 

23:00 EH200高崎操に到着


2074レを牽くEH200が高崎操に到着する。
23時丁度だ。
このボディのスラント(角度)がEH200の特徴。
雨が上がった!。
夜の撮影が続きます・・・・・
2010_7_14 高崎操で撮影。

2010年7月14日水曜日

キュウロク整備中


働いている人の力がなくては蒸機は動かない。
北海道でも、あちこちの機関区を訪問した。
旭川機関区、小樽築港機関区、倶知安機関区、長万部機関区、
五稜郭機関区など・・・。
ここ倶知安機関区では、二つ目の9600(キュウロク)が整備中だ。
1968_7_14に撮影。

2010年7月13日火曜日

EF58の牽く高崎線旅客列車


EF58の牽く普通列車。
足回りが草で隠れているので、編成写真としてはマイナス点。
今では、高崎線の普通列車は、すべて電車になっているが、当時は
何本か客車があった。高崎線内は、ほとんど平坦なので10両と長編成だ。
1965_9 高崎線倉賀野-高崎間で撮影。

ブルトレ機EF65501、深夜の仕業は工臨


夜な夜な高崎操周辺で撮影をしている。
時間帯は22時40分の前後20分ほど。
今日は、高崎線の北側へ。
栄光のブルトレけん引機EF65501が、工臨仕業についていた。
高崎車両センターの各機は、イベントや工臨などについているようだ。
下り到着線にはEF64の貨物が到着した。
2010_7_12 23時ごろ 高崎操で撮影。
なお、撮影データはいつもと同じ。IS06400 1/125 F2 電燈光 7D EF50㎜ F1.8

上野行きの上り最終。このあとは、籠原行きの最終・・・。
斜め正面からの流しの撮影は運任せ。ピントが合った一枚。

2010年7月12日月曜日

明日、銀座から都電が姿を消す



上の写真は1967_12_9に銀座4丁目で撮影。
下は「明日、銀座から都電が姿を消す」との
canonの広告。
明日とは1967年12月9日のこと。
9日限りで銀座の都電が廃止になった。
1967_12_8 付け、朝日新聞の夕刊より。

これがPET35


これがPET35。
初めてのカメラ。
製造:富士フィルム
シャッター:B~1/200
レンズ:FUJINAR-K 1:3.5 f=45mm
ピント:目測
小学6年(1960)から高1(1963)ごろまで使用した。
購入価格:3,000円ぐらいか?(1960年の3,000円は、今では1万円ぐらい?)
使いかた:向かって右の黒い三角のレバーを押し下げて、チャージし、向かって左の黒い三角レバーを下げると、シャッターが切れた。向かって左が、巻き上げノブ、右が巻き戻しノブ。クランクでないので、時間がかかった。

C58、小山を発車


C58のひく両毛線の高崎行き旅客列車が小山を発車した。
近づいてくる蒸機のキャブ付近をアップでねらった。
機関士の左ひじ、そしてキャブの窓越しに機関士の顔も見える。
車両中心の写真でない、鉄道写真が撮れた!
1967_2_22 両毛線小山駅で撮影。

2010年7月11日日曜日

上り下りの出会い


上り下り列車の出会い。
左は、上り八高線の最終、小川町行き。
右は、下り高崎線の普通、高崎行き。
高崎行きの211系のヘッドライトの光軸が、
まぶしく、夜の梅雨空に浮かび上がる。
2010_7_11 高崎操で22時38分過ぎ撮影。

「祝」モールを付けた急行「赤城白樺」号


大きなヘッドマークにモールを付けた急行「赤城白樺」。
9613Mは上野を7:53に出て、高崎9:23発、前橋には9:37に着いた。
この日4月29日から、6月25日までの休日運転。
赤城山への行楽客をねらった列車だった。
それにしても、単なる臨時列車なのに、
モールを付けたりして、「祝」っていたのは面白い。
1967_4_29 高崎駅で撮影。

銚子電鉄のデハ201


銚子電鉄のデハ200形、デハ201。
カラー写真だ。
ネガケースに日付等のデータの記載がないが、1974年ごろの撮影と思われる。
木造の車体で、「古さ」「素朴さ」は充分。
撮影地は、仲ノ町だろう。

2階から見たC58+D51重連


自宅2階から見たC58+D51の重連。
大屋根や手すりの向こうには
上りの八高線重連が・・・、高操に停車するのだろう。
蒸気は切ってある「絶気」だ。
杉やシュロの木々でおおわれた庭など、昭和40年代初期の
自宅は、こんな光景(懐)。
1967_5 高崎線(八高線)を撮影。

雪の上越国境を行くEF16


雪の上越国境に出かけた。1967_1_6のことだった。
今では、EH200が一両で貨物をけん引しているが、
当時のEF15には、EF16の助けが必要であった。
雪の中を走るEF16たちの重連には、たくましさがあった。
上越線水上-湯檜曽間。

2010年7月10日土曜日

夜の涼しい風の中で


22時40分の「あけぼの」の通過を撮ったあと、
4~5分後、上野からの普通電車が通過する。
969Mだ。
籠原以北では、10連が普通。
この立ち位置から、EF50ミリ(APSCの撮像子なので、1・6倍長くなる)で、10連を収めた。
カラーで撮ったのに、まるでモノクロームの世界だ。
2010_7_10 いつもの高崎操で撮影。涼しい夜の風を受けて・・・。

東京オリンピックの聖火リレー


+αの写真です。
高校2年生のとき、聖火リレーが国道17号を通過しました。
たしか、リレーを見に学校は休みだったか、半ドンだったか・・・
ハーフ判なので、縦撮りが多いが、これもそう。
スクウェアにトリミング。少し流し気味で撮っている。
1964_10_6_撮影。あと4日で東京オリンピックの開会式だった。

2つのダイヤモンド


この半年ばかりは、シルエットに傾注していた。
今度は、2つのダイヤモンドが出現している。
ダイヤモンドの出現率に魅力を覚え、この橋に通いつめた・・。
この日は、「クレヨンしんちゃん」の作者が遭難した、あの「荒船山」がよく見えている。
ただ、シルエット写真は、大いなる注意が必要。
それは、太陽の方向を直接、一眼のファインダーでのぞかないことだ。
どっちかというと、ライブファインダーの「液晶」で覗く程度にしたい。
それでも、そのせいか分からないが、右目の視力が左にくらべ、落ちた。
2010_3_3_高崎線新町-倉賀野間の烏川橋梁で撮影。