2010年10月30日土曜日

深夜の平駅、C6223号機の急行「十和田」発車!


C6223のひく青森行き203レ、急行第一「十和田」が平を発車する。
傑作はなかなか撮れないが、自薦、「傑作」だと思う。
C62がもう少しこちらに来たカットもあるが、それより、光る線路やC62の位置からは、
この一枚のほうがいい。
夜の電気機関車よりも蒸気機関車のほうが、蒸気や煙のおかげで、絵になりますね・・・。
1967_9_ 常磐線 平で撮影

セミ判で撮った大宮機関区のキュウロク


大宮機関区の96をセミ判で撮った。
フィルムを押さえる圧着板が不良であったので、周辺部がピンボケに・・。
フォトショップで補正したにはしたが、うまくいかなかった。
しかし、画面の粒子の荒れなどが、「古い写真」の雰囲気を生んだ。
1967_ごろ撮影

2010年10月29日金曜日

64重連の夜間の発車を撮る


ソニーα100からキャノン7Dにカメラを代えてから、
夜間撮影の機会が増えた。
しかし、まったく光のない所では、7Dでもほとんど写らないが、少しでも光が差していれば、なんとか写しこむことが出来る。
高崎線では貴重なEF64の重連、夜間の高操の発車をねらった。
構図としては、不十分だが「いちおう撮れた」、といえるだろうか。
2010_10_22 高崎線 高崎操車場-倉賀野間で20時40分ごろ撮影

右はオホーツク海


雪の便りが季節を一気に冬へと変えました。
秋はどこへいったのでしょう。
冬と聞けば、「JAL 旬感旅行」の季節です。
来年の2月に2泊3日の釧網本線の撮影旅行を予約していますので、今から楽しみです。
この写真、今年、定番の北浜で撮ったDCの後追いです。
右にはオホーツク海、線路の先は網走方向です。
2010_2_1 この日はまだ、流氷は接岸していませんでした。

川原湯温泉駅のこのシーン、いつまで見られるか


ちょうど2年前の2008_10_29に撮影した川原湯温泉駅の上り方のようす。
ハイキング帰りのお客さんたちが、上り115系の普通電車に乗り込む。
ススキの穂が秋を感じさせます。
このシーンはいつまで見られるか・・・・
ダムが出来る出来ないにかかわらず、付替え線の準備は進んでいるはずですから。

2010年10月28日木曜日

正面2枚窓のクハ86


クハ86。
1965_2 新前橋電車区で撮影。
ということは、高校2年のとき、高崎からはるばるここまで撮影に行ったということ。
高崎線の主力であった80系の制御車で、初めのころは3枚窓もあった。
この2枚窓のスタイルは、日本全国の電車や気動車のモデルになったとか・・・
さらに、2010年の今秋、185系1編成もこの塗りわけになっている。

茶ガマ時代のEF62、信越貨物をひく


左前方一帯は、現在の高崎車両センター。
そして、その右の大きな屋根は、現在の高崎機関区。
EF62のひく信越上り貨物が、高崎操車場に向かう。
毎日、目にした62でも写真に収めたコマは少ない。
まえにも吐露したが、あまりにも日常性のものは、
カメラを向けない傾向がある。
でも、「諸行無常」の世界、すべてのもので、常住のものは決して無いのだ。
1965_9 高崎線 高崎-倉賀野間のタカバシという陸橋から撮影

「SL群馬県民の日号」を俯瞰で


今日は「群馬県民の日」。
公的な施設が本日は無料か、割引になるので、妙義山ろくにある美術館と立ち寄り温泉に行ってきた。
そこへ行く道で、D51のひく「SL群馬県民の日号」
を松井田バイパスから俯瞰で一枚。
雨が降っていたので、かすんでいるが、それはそれで・・・
2010_10_28 信越本線 松井田-西松井田あたり?で撮影

2010年10月27日水曜日

高操がにぎやかになるひととき


高崎操車場がにぎやかになるひととき。
20時20分前後の高崎操車場の倉賀野方は、EF64の重連、EF210、EF65そしてEH200などが行き来し、とてもにぎやか。
ISOを下げ、長時間露出で撮影したら、今までとちょっと違う絵になった。
2010_10_27 撮影

倉賀野駅で安中貨物を撮る・・・が


久々の「安中貨物」。下りでなく、上り。
比較的夜間明るい場所を捜し求めた結果、倉賀野駅にたどり着いた。
・・・が、しかし、撮影結果はごらんのとおり。
もっといい場所を探さねば・・・。
2010_10_27 高崎線倉賀野駅で撮影

EF65、高崎機関区を出区


高崎で撮る鉄道風景写真の背景として、好きな山のひとつが榛名山。
左下は、JR貨物の高崎機関区を出区して、機走線を走るEF65。
これから、高崎操車場か、倉賀野駅に向かうところだ。
画面の下半分は暗いが、後方の榛名山は西日を浴びて美しい山容を見せている。
2010_10_27 倉賀野-高崎間で撮影

2010年10月26日火曜日

いい時間帯のEF64重連


夜な夜な出歩いています。
場所は、いつもの高崎操と新たに加わった倉賀野駅。
別に遅い時間でなく、20時20分過ぎから21時ぐらい。
今まで何回か紹介している8088レの「焼島紙輸送」は、
高崎操からEF64の重連になります。
この列車、いまや貴重な重連で、しかも深夜帯でなく、
20時台という撮りやすい、いい時間帯・・・。
2010_10_26 高崎操車場で撮影

榛名山のふもと、高崎をめざすE231系


谷川岳で初雪。
冷たい北風が吹いた。
16時、上毛三山の榛名山が、ここ高崎操車場からよく見えた。
高崎線下りのE231系が榛名山のふもと、高崎を目指してラストスパート。
2010_10_26 撮影

夕日に浮かぶEF66形52号機


今日の一枚は、EF66形52号機です。
夕焼けがいい感じなので、いつもの高崎操車場へ。
この66、熊谷タから5775レで倉賀野へ、そして単5775レで高崎操車場へと、やってきたはずです。
そこで、一枚!。
夕日に浮かぶ66を撮りました。

丸岩大橋を越しショット?185系草津号


吾妻川に架かる湖面3号橋、「丸岩大橋」。
この橋を「越して」185系草津号を撮影(ショット)。
背景の山は、「王城山」。
この地区のランドマークのひとつ。
2010_10_23の撮影は、このような「俯瞰撮影」ばかりです。
実は、「鉄道俯瞰撮影 ファーストガイド」(交通新聞社刊)
を教科書にしたのです。
JR吾妻線 川原湯温泉-長野原草津口間で撮影

銀座から都電が消えて43年になりますね


都電荒川線にバイオレット色の新型車が導入されたそうです。
思い出すのは、都電が銀座から消えた日のこと。
1967_12_9 この日が都電が銀座を走った最後の日でした。
撮影地は、銀座松屋前。都電に感謝の意を表す横断幕が印象的でした。
あれから、43年たちます。

2010年10月25日月曜日

何の車輪でしょうか


これは何の車輪でしょうか。
高崎第二機関区と高崎操車場を結ぶ、使われなくなった非常渡り線に、数年留置されていたものです。
車輪にオモリが付いていますね。
荒縄も巻いてあります。
廃車予定のものです。
ヒントは「信越本線」で、以前のこのブログにも紹介されています。
1964_12 撮影

8620の形式写真


8620の形式写真。
きちっとした形式写真は、難しい。
主連棒の位置、連結器が解放でないこと、正面と側面の比率は3対7などいろいろあるらしい。
そのため、種々の条件を満足するのは至難のこと。
でも、形式写真らしいのは撮れた・・。
1967_9_21 花輪線竜ヶ森で撮影

2010年10月24日日曜日

二つの橋りょう


二つの橋りょう。
上が付替え国道。
下が吾妻線。
上の国道は、いったん開通したが、一部土砂崩れのため一般車は現在通行止め。この道路が通れれば、吾妻渓谷わきの狭い、くねくね道路を通らなくてすむ。早めの復旧を望みたい・・・・。
下の吾妻線の橋りょう部分は、ダム完成後は水没する。
この写真、吾妻川の右岸から撮ったものだが、撮影地付近は、道路工事真っ最中。
いつになったら、「いい紅葉の写真」が撮れるのだろうか。
2010_10_23 JR吾妻線 川原湯温泉-長野原草津口間で撮影

86三重連の咆哮


花輪線の86三重連です。
撮影場所は、竜ケ森。
これは、後追いだが、こちらにやってくるカットは、「わが国鉄時代」(あの日、ぼくらは生涯の宝物に出会った。)Vol.3の22・23ページにB4相当で掲載されています。
たしかに、この三重連は、「ぼくらの宝物」であった。
1969_3_4 撮影

後部補機は上信のデキ


「ぐんまの中小私鉄フェア」が開かれている大胡電車庫に行ってきました。
ミニトレインの運行では、デハ104の後部補機に上信電鉄のデキが付いていました。
デハ・デキとも調子は上々でした。
2010_10_24 上毛電鉄大胡電車庫で撮影

またまた新しい撮影地を見つけた!


吾妻渓谷の新しい撮影地をまたまた発見!
吾妻渓谷の右岸側に新しい道路トンネル「吾妻峡トンネル」が開通。このトンネルは、渓谷の狭い国道を通らず川原湯、長野原方面にいける生活道路。
このトンネルの岩島方の入り口近くのカーブが撮影地。
走っているのは、185系特急「草津」。
左の山塊は「屏風岩」か?不明だが・・・
2010_10_23 岩島-川原湯温泉間で撮影

2010年10月23日土曜日

この路線が廃止になるなんて・・・「やまなみ」を撮る


今日、ヤンバに行った。
紅葉のヤンバを撮るにはまだ早かったが・・・、とても良い天気だった。
写真は、9551M「お座敷効能温泉吾妻号」485系高崎車、和式電車「やまなみ」4両。
この吾妻号、落語を聴きながら列車の旅が出来るんだそうです。
撮影しながら、この路線が「廃線」になるなんて・・・と思いました。
なお、ほかにもたくさんの写真を撮ったので、順次アップします。
2010_10_23 吾妻線岩島-川原湯温泉

2010年10月22日金曜日

EH200が走る!


高崎操車場はすばらしい撮影地。
ただし、今後は再開発が進むと、いまのような広々感はなくなるだろう。
不満なところもある。
フェンスや線路間の保安バー、照明の暗さなどが撮影には気になるが・・・。
そうはいっても、気になる点をうまくカバーするのが腕かも?
今、単機のEH200が走る!
2010_10_22 

8089レで「64重連」は運転してました


6789レがコンテナ化し、8089レに変更になったということがわかったので、「昼間のEF64重連」に再び出会うことが出来ました。うれしい!!です。
2010_10_22 いつもの高崎操車場で撮影

2010年10月21日木曜日

EF64の重連をひさしぶりに撮った



今日の夜、高崎操車場に出けると、8088レ(焼島紙輸送)が64の重連でした。
10月初旬から、運転時刻が6788~6789レは、8088~8089レに変更になったのだそうです。
撮影場所は、上りなので相当、倉賀野駅寄りでした。
左となりには、EF210が単機で停車中でした。
このあと、重連は20時37分過ぎ、隅田川に向け出発していきました。
2010_10_21 撮影

2071レEH200発車待ち


三脚とスローシャッターを組み合わせて撮った一枚。
2071レのEH200が発車待機中、そこに八高線のキハが下り本線を通過。
雨模様なので、晴れの日のようには発色していないが・・・
さて、この一枚の「画題」はどうしよう?
2010_10_21 高崎操車場で撮影

スローシャッターで211系を撮る


今日の一枚は、211系の「流し撮り」。
超スローシャッターなので、当たりのコマはこれ一枚だけ。
手前の草地もけっこう流れている。
運転士の横顔もしっかり押さえられた。
これ、手持ちでなく、カメラを三脚に据付け、雲台をフリーにして撮影したもの。
2010_10_21 

Rail Magazine 12月号の98ページに掲載されました


9月の上信電鉄の「鉄道感謝フェア」で、デキ、MC(モーターカー)、レールスクーターに試乗。
特に、デキ3、デキ1とも乗車できて大感激。
写真の編成は、高崎方(手前側)からデキ3+デキ1+MC。
なお、このときデキ1の運転室からデキ3を撮った写真が、今日、10月21日発売の「Rail Magazine」 12月号№327号の98ページ「今日の一枚(Today`s Nice Shot)」に掲載されています。選者のコメントも載っていますので、ぜひ見てくださいね。
 
2010_9_26 上信電鉄の本社わきで撮影

2010年10月20日水曜日

光る線路 211系


日の入り後の薄明かり、「twilight」の写真に挑戦。
17時10分すぎ、家の前の跨線橋から、高崎線下り電車211系を一枚。
ヘッドライトが行く手の線路を照らしている。
2010_10_20 倉賀野-高崎間で撮影

C62重連、倶知安を発車


函館本線倶知安の夕方、小沢方。
10回はくだらないだろう。
いやそれ以上、ここに立った。
C62重連の発車を撮るために・・・。
数分の火床整理を終えたC62重連は、まだまだ続くサミットを目指して
倶知安を発車した。
1967_3_29 撮影

大沼公園をキハ56が通過する


北海道に渡って、最初の北海道らしさを目にした。
「大沼公園」の風景だ。
小沼・大沼の背景には駒ケ岳がそびえている。
今、寒冷地仕様のキハ56の臨時列車が通過。
今では、国鉄色のキハも珍しくなった・・・。
1968_4_3 函館本線仁山-大沼で撮影

2010年10月18日月曜日

吹田から来たEF6633


EF66形33号機。
高崎操車場で待っていたら、単機でやってきました。
区名差しを見たら「吹」。吹田から来たんだね。
2010_10_18 いつもの高崎操車場の南側から撮影

いい雰囲気で撮れた八高線DC


夕日をバックにした写真が撮りたくて何ヶ月ぶりにやってきました。
新町-倉賀野間の高崎線の烏川橋りょう。
お目当ては「安中貨物」だったが、このDCは、安中貨物の直後に通過する243Dだ。
橋りょうのトラスと列車が被らない最善のカットを選択。
雲と残照とDCの窓の明かりなどがいい雰囲気で撮れました。
2010_10_18 キャノン7Dで連写し、その中の一枚をアップ。

他を圧倒するC62


C62の2号機が転車台に乗っている。
運転は構内機関士だろう。
太いボイラーがC62の特徴。
狭軌鉄道では、最大の蒸気機関車であるC62は、他を圧倒する。
1969_3_8 小樽築港機関区で撮影

48年前の101系中央線快速


201系が最終運転を迎え、NHKテレビでニュースとして放送された。
201系が中央線から消えるのは、「社会現象」ということか・・。
この写真は、1962_7_31 東京駅で撮影した101系「中央線快速」。
東京駅に到着して、お客さんがいっせいに下車し、運転士もたちあがっている。
48年前だ。

2010年10月17日日曜日

D51498の汽笛が聞こえた


朝、自宅で汽笛が聞こえた。
高崎車両センターからだ。
夕方、D51498を撮影に・・・。
ブルーモーメントの時間帯だった。
2010_10_17

81系の「はつかり」最終日


10月16日、上野・青森間に、583系「はつかり」が一日だけ運行されたそうです。
私が撮った「はつかり」は、81系の「はつかり」。
ヨンサントウのダイヤ改正前に、すでにこの「はつかり」は最終日を迎えていた。
1968_9_9 上野駅7番線ホーム。
左の6番線には、新潟行き「佐渡」の姿も・・・
この「はつかり」は上り最終で、ヘッドマーク周りにはデコレーションが飾られている。
いまだったら、入場制限もありうるだろうが、当時はファンのすがたもまばら・・・
隔世の感。

2010年10月16日土曜日

たそがれの中を走る183系


たそがれと183系電車と橋りょう。
ここには太陽は写っていないが、たそがれの雰囲気は十分出ているだろう。
画面も単純化され、余分なものは写っていない。
クハの頭の位置も、トラスの隙間から十分出ている。
自分で推す「傑作」。
2010_2_23 高崎線 新町ー倉賀野間の烏川橋りょうで撮影

C55形1号機を旭川機関区で


C57が「貴婦人」だったら、C55はなんと呼べば良いのか。
製造年からいえば、「お嬢様」か・・・・
C55の魅力は、そのスポーク動輪と細いボイラ胴。
この1号機、その後はどんな運命をたどったのだろうか・・・
1969_3_19 旭川機関区で撮影

2010年10月15日金曜日

通過後を流し撮りしました(安中貨物)


久しぶりの安中貨物。
高崎駅を経由して、安中をめざします。
17時15分すぎ、そうとう薄暗くなりました。
60分の一で通過後を流してみました。ISOは1600。
そう、家のすぐ前の「陸橋」から撮りました。
2010_10_15 高崎線

小沼湖畔で撮ったDC(キハ22)


ネコ・パブリッシングの運営する「わが国鉄時代」という投稿コーナーがWEBにある。
この投稿を基にして、「わが国鉄時代」という雑誌が発行されている。
私自身、第2巻から第4巻まで、たくさんの写真を載せてもらった。
第5巻も今、編集が行われているようだ。
最近のWEBでは、10月14日付けで、「火床整理(函館本線)」の題で、写真が載っています。
さて、きょうの一枚は、函館本線仁山-大沼間で撮ったDC、キハ22(?)。
当時は、ついでで撮ったのだが、今となっては大変申し訳なく思う。
撮影から40年以上たつと、
どんな一枚も、とても大切に思えてきたのだ。
1967_7_17 撮影

念願の入賞です!DJフォトコンで銅賞


今日10月15日発売の鉄道ダイヤ情報(DJ)の11月号。
かねて応募した「DJフォトコンテスト(橋りょうを渡る)」に、見事?
銅賞に入賞しました!!
画題は「シンメトリー」で、同誌の43ページに掲載されています。
選者、宮沢孝一さんの作品、作者に関する的確なコメントには頭が下がります。
ということで、今日は、「橋りょうを渡る」にちなんだ作品です。
2010_1_9 高崎線神保原-新町間で撮影したE231系。真冬の傾いた太陽をサイドに受け、上野・新宿をめざします。

2010年10月14日木曜日

2007年 吾妻渓谷の紅葉真っ盛り


この写真はもう3年前のものだが、同じ傾向の写真ばかりをアップしているかも?
2007_11_17 撮影。
この吾妻川の、この真下に「八ッ場ダム」本体が出来るはずだ。
当然、左の白糸の滝、右のJR吾妻線、国道、遠くの川原湯温泉駅は水没する。
まだダム関連工事も盛んでないので、ほぼ原形を保った景色。
今となっては、「貴重な一枚」となった。
紅葉真っ盛りの中、185系が渓谷を通過する。

吾妻渓谷の遊歩道、「見晴らし台」からの俯瞰


吾妻渓谷の紅葉がいよいよ、はじまったかな?
しかし、紅葉をいい条件で撮影するのは難しい。
この写真の一週間前にも訪問したが、2008_11_29の撮影時点では、すでに紅葉は終了していた。
今年の読みは難しいだろう・・・。
紅葉はともかくこの写真、左には吾妻渓谷のランドマーク「丸岩」が見える。
二本の橋脚は「湖面2号橋(不動大橋)」だが、この時点では、まだ桁はつながっていない。
185系草津号は「川原湯温泉駅」を出発して、「第二吾妻川橋りょう」に差し掛かる。
JR吾妻線 川原湯温泉-岩島間で撮影

夜間走行中の489系旧「能登」を撮った


489系旧能登編成が、この連休に運転されたそうだ。
ということで、私が撮った夜間走行中の「能登」を再び紹介。
2010_2_16 高崎車両センターわきで撮影。2月の早朝なので、もちろん真っ暗。
画面右には、これから出区するE231 系グリーン車の姿も・・・

2010年10月13日水曜日

サクラメントのC型SL


カリフォルニア州の州都、サクラメント。
ここの鉄道博物館を訪ねた。2007_12_24。
さすがアメリカ、巨大なSLが目に付いたが、写真のC型の動輪周りのカラーに感動。
何コマも撮影したうちの一枚。アメリカのSLにはこんなカラーリングがあったのだ。

湘南色185系草津号を俯瞰で


いろいろなブログに「湘南色185系草津号」がアップされている。
しかし、どれも駅撮りか、その周辺で撮ったアイレベルのものがめだった。
わたしの撮った「湘南色185系草津号」は俯瞰だ。
2010_10_11 

重連は当たり前 旧東北本線


この3連休、山口線でC57とC56の重連が走り、多くのファンが押し寄せたそうです。
当時の東北本線(盛岡以北・一戸以南)では、重連、三重連は当たり前だった。
ところで、この写真、微妙なところで左がカットされている。
そのためD51の重連の後ろには、何がつながっているのかわからない。
当時の東北本線では、普通列車や小荷物列車はC61かC60、または、D51がけん引していた。
数両の客車列車では、単機だったが、夜行寝台や急行は、D51などが補機についていた。
ここ、東北本線の長根信号所-滝沢間は旧線で、その後、新線に移っているので、この風景は遠い過去のものになった。
背景の山は岩手山。
1967_8 撮影