2011年3月31日木曜日

「朱鷺」の漢字が入った181系「とき」


1967_8 の撮影。
ヘッドマークに「朱鷺」の漢字が入っていた時代。
この当時、上りの「とき」は第1から第3まで三往復あった。
この写真は、高崎11時22分発の「第1とき」だろう・・・
なお、左の下り線は烏川橋りょうの付け替えで現在は、さらに左に移設されている。
そう、この辺では撮影に適したインカーブの撮影地がないのが残念。
新町-倉賀野間で撮影

数少ないロクニの形式写真


EF62は「高二」に多数配置されていた。
そのため、かえって、しっかりした「形式写真」は少ない。
この一枚はその数少ない写真。
1963_9 この年、碓氷新線が開通し軽井沢で撮影したロクニ。
このときは、信越線のD51も軽井沢で撮影している。

2011年3月30日水曜日

重連でプッシュするハチロク


このブログへの登場は少なかった花輪線のハチロク。
この一枚は、ハチロク三重連の一部。
先頭は1両のハチロクがプル、そして貨物のあとに2両のハチロクがプッシュする。
この写真の2両のハチロクは後ろ向きにプッシュし、進行している。
なお、この辺は33パーミルもの急勾配だ。
1968_4_3 花輪線のサミット、龍ヶ森付近で撮影

横川電化後走っていたクハニ67


撮り鉄人生録の?枚の写真ファイルを毎日開き、アップする写真を選んでいます。
1965_3_29 高崎で撮影した一枚を見つけました。
いわゆる「旧型国電」で、車番はクハニ67900で「スカ色」。
高崎から横川までの電化完成後には、このような旧型国電が使用されていたんだね。

EF210が牽く石油輸送列車


畑仕事をしたあと、いつもの烏川原へ。
今日の川原は魚釣りの人が数人出ていました。
鉄ちゃんのほうは、いつもと同じで、私ともう一人の二人。
まず下りの烏川橋りょうの順光側で撮った後、逆光側で撮ったのがこの一枚。
倉賀野まで石油を届ける5881レで、EF210けん引。
今日は荷物が少なく5~6両程度のタキ列車だった。
なお、町のガソリンスタンドは、いつでも給油ができる状態に戻りました。
2011_3_30 高崎線 新町-倉賀野

2011年3月29日火曜日

ゴハチ37号機の貨物 高操に到着


ゴハチもこのころは貨物もひいていた。
写真は、高崎操車場の上り到着線。
EF58-37号機が到着した。
まだ、パンタは2基上がっているので到着直後。
右には掛員の移動用自転車が置かれていた。
自宅のすぐ前の一こまだ。
1966_3 撮影。

2011年3月28日月曜日

大きなH.M、それは仙台急行「あおば」


東北本線の交直流電化の接点が黒磯。
そこで、赤い電機を見たくて黒磯往復を・・・。
駅構内や近くでED71を激写。
そんなこんなで、黒磯でであったのが、大きなヘッドマークを付けたEC。
33M「あおば」。
仙台の青葉城にちなんだのだろう。
こんな大きなマークは他に、上越の165系急行にも付いていた。
1963_8_6 黒磯で撮影

満開の梅林を駆ける「あさま」(3)


榛名梅林へは今日で4回目。
数キロ離れた処からの撮影なので、被写体であるE2系は「えんぴつ」、いや「シャーペンの芯」のよう。
背景の山は「赤城山」、その左の雪山は「上州ホタカ山」。
あの鉄道風景写真の大家、真島さんも、ウォーリーを探せ流に、列車がまめつぶ様な写真が何枚もあったかな・・・。
そういえば、一緒に撮影していた年配の方(鉄ちゃんではない感じ)は、「新幹線を入れた風景」を撮るんだ、と言っていたっけ。
2011_3_28 東京では桜が開花した日。

山間地そのものの安中榛名駅付近のE2系


長野新幹線の安中榛名駅付近に行きました。
以前行った場所なのでしたが、前と変わりはありませんでした。
天気が良かったので、南側の遠方には東みかぼ山と西みかぼ山が良く見えました。
この写真は、70~200ミリ f2.8のLレンズで撮ったものです。
30パーミルの急勾配区間を下るE2系「あさま」の先頭部です。
この駅付近はまさに、山間地そのものですね。
2011_3_28 安中榛名駅近くで撮影。

根府川でゴハチ


1966_7_11 根府川の橋りょうを見上げて撮ったゴハチ。
解像度はいまひとつなのは、流し撮りとハーフ判のせいと腕?
フィルム代をかせごうとして、オリンパスペンの中古を買い撮り始めた。
普通に構えると「たて」構図になるので、「よこ」構図の流し撮りはしにくい。
結構前からここは、有名なお立ち台だったんだ。
東海道本線 根府川-早川間で撮影

2011年3月27日日曜日

蒸機は蒸気が写真を印象付ける


小樽駅の函館寄りに陸橋があった。
ここは架線がないので、スッキリしていた。
撮影環境もよかったが、一度きりの訪問だった。
C62重連の「ていね」の発車シーンを撮るのがメインであったが、C57やD51の機まわしも撮影できた。
1967_3_29 は小雪交じりの天気であった。
「蒸機は蒸気が写真を印象付ける。」のとおりの写真が撮れた。

満開の梅林を駆ける「あさま」(2)


どうも、同じ撮影地に何度も行ってしまう。
それは満足のいく一枚が撮れてないから・・・。
今日(2011_3_27)で、ここは3回目。
広大な梅林の中をE2系が駆けるシーンを撮りたい。
しかも、満開の梅の中を・・・。
今まさに、その満開だが。
下りの「あさま」が榛名のトンネルを出て、高架橋を通過し、またトンネルに入る。
トンネルの上は、東日本一の梅林が続く。
長野新幹線 高崎-安中榛名間の高崎市榛名町で午後、撮影

2011年3月26日土曜日

C62-37号機を仙台で撮影


仙台駅のホームでC62-37号機を撮影。
なぜか正面から撮っていない。
区名札は「平」。
1964_4_3 のこと。
東京オリンピックの年。
高崎から日帰りで仙台まで往復し、仙山線のECも撮っていたが、他にはほとんど撮っていない。
この春休みは、他に新幹線の試験線の鴨宮とか千葉とかに行っている。

「北斗星」に少しだけ「ギラリ」・・・



とても寒い一日でした。
強風が吹き荒れていたので、畑仕事もお休みです。
せっかく種まきしても、寒くて芽が出ませんから・・・。
夕方、「ギラリ」が撮りたくて高崎機関区に行ってみました。
あのEF510の504号機が、以前と同じ位置に留置されていました。
安中貨物の返しだったのでしょうか。
「北斗星」を夕陽が照らし、少しだけですが「ギラリ」が出現しました。
裏話ですが、この画面の周りは、電柱が何本もあり大幅にトリミングをしています。
2011_3_26 高崎機関区

2011年3月25日金曜日

DD51重連のひく急行


ヨンサントウの東北本線電化開業を控え、撮影時点では(1968_7_11)どこでも架線が張られていた。
しかし、ここ千曳-乙供間は新線に移行するため、「そのまま」であった。
たった、一日の撮影であったが「夢のような時間」が存在した。
C60、61、そしてD51などが行き来し坂もあった。
貨物はD51の重連も・・・。
そして、DD51の重連の急行も。
当時、被写体としては、「ついで」あったが、2011_3 の今日、反省の限り・・・

2011年3月24日木曜日

満開の梅林を駆ける「あさま」(1)


3月2日以来今年2回目の訪問。
高崎市の榛名地区は東日本一の梅の生産地。
この榛名地区を横断しているのが、長野新幹線。
今、満開の梅の林に囲まれた中を「あさま」が駆ける。
2011_3_24 高崎-安中榛名

C62-23号機の牽く「ゆうづる」


JR常磐線が震災を受け、こちら高崎方面にも、「安中貨物」などの関係で影響大。
前のブログにも書きましたが、「人生録」流にいえば、常磐線といえばC62。
中でも6レ「ゆうづる」をひくC62。
これをものにしたいと思って何回か挑戦。
しかし、平到着が朝早く、夏至の前後が「撮り時」だった。
もちろんその時期に行けばいいのだが、なかなか実現できないまま、9月を迎えてしまった。
1967_9_10 場所は不確かだが、広野-末続間だと思う。
9月末には、消えるC62なので、沿線には鉄ちゃんだらけ・・・。
どうにか、撮ったのがこれ。
相当トリミングをしてあるが、一応見られる一枚になった。
けん引機は、23号機。
JR常磐線の早期復興開通を祈ります。

C61-4号機の元気な発車シーン



1967_4_1 撮影だから44年前の平駅。
常磐線と言えば、C62というのが私の常磐線の印象。
だが、このC61も常磐線だった!
上は、平駅を仙台に向けて発車。連写機能のないカメラでも、数コマ写っていたうちの一コマ。
C61-4号機の元気な姿だ。
下の写真は平機関区で出区まえのもの。
なお、3月24日発売のRMの本誌の112ページの「今日の一枚」に私の投稿写真が採用されました。2月21日に撮った安中貨物で、タキの更新のニュースを取り上げたものです(小さな写真ですが)。
RMを見てくださいね。(^^

2011年3月23日水曜日

本命の「牛乳パック」ロクヨン重連


放射線の関係で畑の作業ができないので、午後3時過ぎいつもの烏川橋りょうへ。
本命は2085レの「牛乳パック」ロクヨン重連です。
風が強く肌寒いなかでしたが、もう一人の鉄ちゃんと一緒に一鉄しました。
いつものように、2つのカメラを使ったもので、コレは7Dで撮ったもの。
標準レンズ的な画角で撮りました。
2011_3_23 新町-倉賀野間

東北本線で撮ったED71-3号機


昨夜3月23日、常磐線の被害と復旧工事のようすがテレビで報道された。
線路がくねくね、上下と曲がっていた。
復旧までには時間がかかるだろうと思った。
この写真は1965_3_29 東北本線で福島まで往復した折の撮影。
撮影場所のメモがないが、列車に乗車中の写真のようなので、終点福島で撮ったものではなく、途中の郡山あたりだろう・・・。
ED71-3号機の機関助士らしい人が、後方を確認している。

2011年3月22日火曜日

茶ガマ時代のゴハチ133号機


ゴハチの茶ガマ時代の写真は、Webで検索したら結構貴重。
ほとんどブルーの時代の撮影が多い。
この133号機は1963_6 の撮影。
場所はいつもの高崎第二機関区。
ここ高二で新製時から廃車まで過ごしたようだ。
長いひさしがかっこいい。

185系A7編成がギラリ


185系による高崎・上越・吾妻線の各特急が運休している。
高崎車両センター高崎支所にA7編成の185系が留まっていた。
夕陽に照らされて金色に。
ほんの一瞬だったが、ギラリが見えた。
再び走るのはいつになるのだろうか・・・。
2011_3_16 

2011年3月21日月曜日

駆け抜ける現役時代のC61-20号機(3)


現役時代のC61-20号機の先輪と動輪付近の流し撮り。
20号機の証拠は、「第二先輪」。
こんな風に駆け抜ける動輪のアップをもう一度撮りたい!
1970_8_23 奥羽本線碇ヶ関駅で撮影

ゴハチ134号機


ゴハチの写真をいろいろ探しました。
これは、1967_8 新町-倉賀野間で撮影した134号機。
ヒサシが長く、上越線雪国対応。
画像からすると、135ミリの望遠レンズで撮っているらしい。
私にとってのお立ち台、いつもの烏川橋りょうの北詰めで、
アウトカーブをうまくゼロ角度付近で撮っている。
この電機は1957年に新製、「高二」で一生を過ごしたようだ。
ほかにも、ゴハチの写真があるかも・・・・。

女性的なロクニ?


碓氷線が複線化された1966年7月、「碓氷」という臨時急行が東京・中軽井沢間に運転された。
全指定だったが、軽井沢まで乗車。
そして、軽井沢駅で撮ったロクニがこれ。
線路近くから見上げる角度で一鉄。
ロクサンとは違い窓周りにR付いているので、やさしい感じのスタイルだ。
ロクサンが男性なら、ロクニは女性的かな?
1966_7_23 軽井沢で撮影。

ゴハチ52号機の2トーンは「青大将」色?


ゴハチの貴重な一枚が見つかりました。
ヒサシつきの52号機です。
塗りわけはなんと、ツートーン。
この写真、パンタが上昇していれば申し分ないのだが・・・。
Webで検索したら、この塗りわけの52号機は見つからなかった。
実際、この色は何色と何色なのだろうか?
まさか、「つばめ」や「はと」を牽いた「青大将」色か?
なお、この電機、1961_12 から高崎第二機関区所属らしい。
撮影は1962_7_11 高崎第二機関区で。

数少ないゴハチの写真


いま発売中の「国鉄時代」はEF58特集。
あんなにも日常的だった電機だから、撮ったコマはごくわずか・・・。
どうも、被写体を見る目が今とは違っていた。
蒸機がなくなった時点で、「もう撮るものがない!」と思っていたのだ。
だから、ゴハチにはほとんど目がいかなかった。
あさはかだった・・・!
この写真、1967_1_7 烏川橋りょうを渡り終え倉賀野方面に向かうゴハチを撮影。
写りが悪いのはさておいて、貴重な一枚になった写真だ。
なお、この下り線の橋りょうは架け替えのため、今は無い。
新町-倉賀野間の高崎線

2011年3月20日日曜日

高二機関区でロクサン1号機を撮った


小学生から「鉄道少年」だった。
写真は、1962_5_25 に新製されたEF63-1号機。
本来は横川機関区所属だが、高崎第二機関区にしばしば出入りしていた。
パンタか上がっていれば立派な形式写真・・・。
撮影はこの年の10月ごろなので、まだ中学3年生だった。
ロクサンは、まだ新車の雰囲気を持っているし、いままでにない角張ったフロントガラスには好感が持てた。
この機関区にはしばしば立ち寄って撮影させてもらっていたが、今のような「撮り鉄」の仕方の本はなかったので、今から思うともったいないことしてた。
1962_10 撮影

これもロクサン重連


またロクサンの重連写真。
1966_10_1 横川機関区内で撮影。
手前の機番は8号機。
機関区なので背景にその他のロクサンも写っている。
右はロクニ。
1997年の横軽間の碓氷線の廃止時には、機関区内には原則立ち入りはできなかったが、当時は結構ゆるかったのでありがたかった。

上信シマウマ電車が行く


毎日一鉄したいけれど、なかなか・・・。
上信シマウマ電車が烏川橋りょうを渡ります。
なんでシマウマなのかというと、沿線に群馬サファリパークがあり、この電車はその宣伝電車。
手前は「佐野橋」で、木造でいい雰囲気の橋。
広田尚敬さんや中井精也さんもここで作品を残している。
画面左には、高校生が水遊び?をしている。
上信沿線の午後のひとときです。
そう、向こうの上信の烏川橋りょうの橋脚は、つい最近補強工事が終わったばかり・・・。
なお、昨晩2011_3_19の震度4には恐怖を感じました。
この写真は南高崎-根小屋間で3_13 に撮影したもの。

2011年3月18日金曜日

頼もしく見えたEH200のコンテナ貨物


昨晩から上越線の貨物が動き始めたようです。
家に居てEH200やコキらしい走行音が聞こえました。
今日2011_3_18の午前、高崎線の上りの貨物が家の前を通過したので、高崎操車場に行って撮ったのがこの写真。
雪を付けたEH200が、コンテナなどをけん引している編成は、頼もしく見えました。
その後、倉賀野駅ではDE10がタキの入れ替えしていました。川崎に向けて、空のタキを返却するとのことでした。このタキは、EF65の貨物の一部として組成されました。
午前10時20分過ぎ、さきほど高操で見かけた上りのコンテナ貨物が通過して行きました。

2011年3月16日水曜日

高崎機関区にEF510がいました


停電と余震の続く中、高崎操車場と高崎機関区に「見回り」?に行ってきました。
高崎操車場には、コンテナを積載したコキが10両ほど停車していました。
高崎機関区には、普段はいないはずのEF510-504号機がいましたので、EF55-1と向かい合った感じで一鉄しました。
なお、あの11日の安中貨物の運用は504号機だった・・・。
2011_3_16 高崎機関区で夕方撮影

2011年3月15日火曜日

のどかな上信沿線風景


こんなジオラマ風の風景はどうでしょうか。
違う言い方だと、箱庭風。
2両編成の上信電車が行く。
のどかな風景・・・。
だがまだ、この電車の形式を覚えていない・・・。
彩度とコントラストを上げてみた。
出かけられないので、ちょっと前の写真をアップしました。
2011_3_10 上信電鉄 南高崎-根小屋間

碓氷線一のお立ち台でロクサンを撮る


「メガネ橋」こと、「碓氷川第3橋りょう」越しに、2本のアーチ橋を撮影。
碓氷線では、もっとも有名な撮影地(お立ち台)だった。
下り「あさま」がロクサンの後押しで軽井沢に向かう。
1966_10 撮影。

碓氷新線開通時のEF63茶ガマ重連


碓氷新線は、1963_7 に一部開通した。
完全に新線に移行したのは、9_30 。
この写真はその9月30日の撮影。
左には、80系の湘南電車が停車している。
ロクサンは2両で重連を組み、待機中・・・。
塗装はもちろん「茶色」。
撮影地は、横川機関区側から横川駅を望んだもの。

2011年3月13日日曜日

夕陽に向かって走る上信電車


家に居て、何度も余震がありました。
余震の恐怖を毎回感じます。
今日の一枚は、上信電鉄の烏川橋りょうを渡るゼブラ電車クモハ150形です。
夕陽(明日)に向かって走る感じが出ていませんか・・・。
2010_3_13 南高崎-根小屋

複線化された碓氷新線を行くロクニとロクサン


ロクニとロクサンの写真。
アプト廃止後の碓氷新線は単線で開通したが、1966年10月には複線化された。
複線化された碓氷線の撮影にでかけたのは、この年の10月。
トンネルの上の山に登って撮ったのがこの写真。
左の遠方が旧丸山信号所。こちらに向かってくるのがEF62-25号機のひく貨物列車。
後追いは旅客列車で、ロクニの前にはロクサンの重連が付いている。
両列車をうまい位置に撮るのは難しい・・・。

2011年3月12日土曜日

ロクサンの14と15号機のならび


11日金曜日のブログはお休み。自宅の京壁に2メートルほどのヒビが3本ほど入りました。
12日になっても、余震が数回ありました。
10日のEF63の甲種回送がちょっとしたニュースになっていました。
そこで、この写真は1966_10 撮影の横川機関区のEF63。
14号機と15号機の並びです。あおって撮ると、けっこうカッコイイロクサンですね。
そう、節電をしなければ・・・。
このあと、パソコンの電源をすぐOFFにします。

2011年3月10日木曜日

5782レ 安中貨物けん引機は、EF510-505号機


今夜は月が西の空に出ています。
安中貨物の上り、5782レは西からやってきます。
21時チョット前。
高崎線の上野行き、八高線の高麗川行きのすぐあとです。
練習つまり試写として、この二つの列車は貴重です。
シャッターは8分の1で切りました。
2011_3_10 今日も「何鉄」したのでしょうか。一日一鉄では済みませんね。

現役時のロクサンの形式写真


これがEF63(ロクサン)の形式写真。
何回か書きましたが、「形式写真」はこのブログにはほとんどありません。
形式写真は難しいのです。
いくつかのルールがあって、点数が付けられるほどです。
このロクサンの写真もいい点数ではありませんが、ファイルを点検したみたら、一定の線なので紹介します。
本来ロクサンは、旅客は1両で350トンをけん引するはずだったようです。
でも、試験の結果だめなので、重連となったらしい・・・。
1966_10 ごろ横川機関区で撮影。

甲種輸送2 ロクサンは最後尾に


鉄道文化むらの運転体験用EF63の甲種輸送が行われました。
下りはひとつ前のブログで紹介してありますので、コレは上りの9780レ。
写真は、高崎駅を出て高崎操車場へ向かうところで、高崎車両センター高崎支所わきを通過中。
最後尾がEF63-12で,真ん中にDD51-888,そして先頭はEF64-1020です。
ほぼ500ミリ相当のレンズなので、圧縮された画面になっています。
右の線路際には、たくさんの鉄ちゃんがいるのはわかりますか。
なおロクサンの写真は、前に撮ったのがいっぱいありますので、順次紹介しましょう・・・(^^)。
2011_3_10 午後2時前の撮影。

ロクサンの甲種輸送1



EF63の甲種輸送が高操から横川まで行われました。
家の前の陸橋がにぎやかなので行ってみました。
DD51-888とEF64-1020にはさまれたロクサンEF63-11をまず撮影し、その後高崎操車場で発車を見送りました。
はるかかなたの30年前で見たような雰囲気を再現したのが下の写真。
2011_3_10 上は高崎機関区と高崎操車場との間の機走線、下は高操で撮影

2011年3月9日水曜日

EF210-134号機のひくタキ貨物の編成写真


このブログには、「編成写真」は少ない。
どうも、きちっと撮れる場所に恵まれていないのか、腕が悪いのか。
それでも、ここもいまひとつであるが・・・。
アウトカーブで、最後尾までは写らない。
2011_3_9 高崎線新町-倉賀野間の烏川橋りょう南の築堤下り線

EF66 いいスタイルをしている


モノクロのすばらしさを実感。
カラーにはない味がある。
EF66-130の横顔もいい。
フィルター効果は赤を使用。
2011_3_9 今日は、烏川南の築堤で撮影。

2011年3月8日火曜日

八ッ場(やんば)を行く湘南色185系


八ッ場ダムの建設で、吾妻線の岩島-長野原草津口間の線路が付け替えられ、今月末には新線に移行するはずでした。しかし、今日2011_3_8 の読売新聞群馬版によると、「JR線付け替え大幅遅れ」との大見出し。
現、線路を廃止しないと本体工事にも影響があるとのことです。
そこで、今日のこの一枚は、ちょうどダム本体のすぐ上流にかかる第二吾妻川橋りょうを渡る湘南色の185系。もちろん、ダム建設でこの橋の部分は湖水に沈みます。
本来雪景色を撮りたかったのですが、この時期ほとんど雪はありませんでした。
2011_2_9 岩島-川原湯温泉間で撮影。
なお、このお立ち台は、湖面一号橋の建設工事の影響で、徐々に撮影しにくくなっている。

「タキ」の交代 まもなくかな?


量産タキ1200形19両が完成し、甲種輸送されたそうです。
いよいよ、安中貨物のタキが交代されるのでしょう。
最高速度が向上したので、ダイヤも変わるのかな?
今日は81でなく510の513号機がけん引してました。
2011_3_8 いつもの烏川橋りょう

モノで赤フィルターを使った一枚


カメラのフィルター機能を使ってみた。
まずはモノクロームを選択し、フィルターの色は赤に設定。
構図は、いつもの烏川橋りょうを広角10ミリで撮影したもの。
EF65のひく貨物が倉賀野をめざす。
2011_3_8 新町-倉賀野間の高崎線

2011年3月7日月曜日

羊蹄山を背景に走るキハ56系


ネコ・パブリッシング発行の雑誌に「わが国鉄時代」というのがある。
今度、第6巻目の出版が予定されて、3月20日締め切りで、原稿を募集している。
私自身、第2巻から5巻まで何枚かの写真とそのコメントを送付し、掲載されてきた。
そこで、第6巻に向けて今日、2011_3_7 ようやく提出原稿(写真とコメント)が完成した。
今日アップのこの写真、1969_3 北海道函館本線の倶知安近くで撮影したキハ56系。もちろん国鉄色。編成輌数を数えたら、9輌という長編成だった。稚内行きの急行「宗谷」か・・・な。
蝦夷富士こと、羊蹄山を背景にした数少ない一枚だ。