2011年7月31日日曜日

上野をめざす80系


私のお立ち台。
いつもココで撮影していた。
背景には、右に沖電気、後方には日本製粉の木造工場が・・・。
現在の、高崎車両センター高崎支所わき。
80系湘南電車が上野をめざして高崎駅を発車し、加速していく場所。
今現在より、撮影環境は良好だったかな(^^;
1964_10 東京オリンピックの年でした。撮影時刻は、午後ですね。

元気だったキュウロク(高崎第一機関区)


高操と並んで、写真を撮りにしばしば訪問したのが、高崎第一機関区。
昨日(2011_7_30)見てきた映画、喜劇「各駅停車」のロケ地にもなった場所。
ラウンドハウス(扇形庫)横から、C58が引き出される。
大正時代に生まれたキュウロクも元気良く写っている一枚だ。
今では、この風景は完全に過去のものになった(^^;
1966_12_21 撮影。

2011年7月30日土曜日

喜劇「各駅停車」を見てきました




2011_7_30「足尾線からわたらせ渓谷鉄道へ」の記念事業第一弾として、喜劇「各駅停車」の上映会が開かれました。
大間々の「ながめ余興場」。
1時間半の上映時間はあっという間でした。
この映画を見たのは3度目でした。
高崎第一機関区と転車台、足尾線、そしてC1247、48などが取り上げられていました。
出演は、森繁久弥、三木のり平、森光子・・・。
ラストシーンで退職を決意した寺山(森繁)が鳴らす、C1247の長汽笛は、感涙ものでした。
と言うことで、今日の一枚はこれ・・・。
1969 花輪で撮影のC12で、映画で取り上げられたのと同じ「貨物列車」です。

架線のなかった八高線(D51重連)


1968_9_28 八高線東飯能-金子。
これも、鉄研の合宿のさいの撮影。
このころの八高線は、D51やC58、9600などの蒸機が最後の活躍の場。
この一枚は、D51だがアウトカーブなので、本務機が写っていないが「重連」だ。
いまでもそうだが、架線のない路線は「貴重」ですね。

2011年7月29日金曜日

EF70というカマ


夏と言えば、鉄研の合宿。
この夏は、廃線となった柳が瀬線が研究テーマ。
その合間に、北陸本線の余呉駅周辺へ。
今となっては、こんなカマもあったのかというEF70。
客貨両用で、ED70に代わる交流機だった。
北陸トンネル通過をねらい、北陸本線の新鋭機として増備された。
1967_8_22 余呉駅で撮影。

草軽のデキ


1966_7_23 軽井沢へ。
これは軽井沢の東部小学校に保存されていた「草軽電鉄のデキ」。
デキと言うのかは、不確か(^^
物心ついたころには、草軽電鉄は廃止されていたので、現役時代は知らない。
今となっては残念!
廃止後、ここに保存されていたのでしょう。
ペンキもシッカリ塗ってあります。
今、どこか別のところで生き延びているのでしょうか・・・

かわいい上信のデキ


天気のようすを見て、今日はデキに乗らないことを決断。
撮り鉄に変更し、烏川橋梁へ。
午前の下りと午後の上りの2回も・・・。
コレは、上り。
今日はデキ1両でけん引。
1両では、お客さんはデキには乗れないのでは、と心配。
なお、下りの写真は、Web「RM今日の一枚」に掲載(アップ)されているので見てくださいネ。
2011_7_29 それにしても、デキって「かわいい」です。

2011年7月28日木曜日

上目名-熱郛の大カーブのC622号機


C62の2号機。
上目名-熱郛間で撮影。1967_7_20だった。
AF一眼でないので、しばしば、ピントのずれたコマがあった。
実は、これもその一枚。
2号機の後ろにもC62が・・・。

スカ色113系廃車回送


113系廃車回送。
以前、一回撮ったことがありますが、ここ高崎操車場では初。
例によって「流し撮り」です。
この「スカ色」も70系が両毛、信越、長野原線で活躍した時代もありましたっけ(^^・
2011_7_28 撮影。
明日は、上信のデキに乗る予定です。

C6120の「試」運転


何度も書きましたが、我が家にいると、「蒸機の汽笛が聞こえるのです」。
先ほど午後2時30分過ぎにも数回聞こえました。
今朝出かけたC61が帰ってきたのでしょう。
そんなわけで、今朝2011_7_28 の9時過ぎに、高崎機関区わきの機走線で撮ったC61です。
15分の1のスローで流しました。
しばらく運用を離れていましたが、8月には復帰できるのでしょう・・・(^^;
キャブ下には「試」の札が差し込んでありました。

DD51のプッシュ・プル運転(八高線)


<今秋、最後の活躍に臨む石北本線の風物詩「タマネギ列車」と釧網本線・富良野線で中井先生と共に鉄道撮影三昧。>
こんなツアーが今秋10月に催行されるというので、ツアー受付初日に申し込んだ。
そこで、この一枚、その「タマネギ列車」と同じ、DD51のプッシュ・プル運転。
2010_4_6 丹荘-群馬藤岡での撮影。
いわゆる訓練運転なので、ダイヤを知るのがポイント。
線路際の道祖神の顔がカワイイ。

2011年7月27日水曜日

イスタンブルのトラム



2009_11_27 トルコのイスタンブルの市内電車トラム。
電車のステップに乗って、数人の中学生ぐらいの悪がきが遊んでいた。
誰も注意しない。
転落事故が心配で見ていられなかった。
そんな、遊び道具の電車を流し撮り。
運転士の姿も写っている。

半世紀前の高崎で撮ったC11


1962_8_撮影。
半世紀前の高崎駅。
C11が客車の入れ替え中。
今だったら、DE10か11がやっている仕事。
C12は足尾線でなじんだが、C11となるとなじみは少ない。
貴重な一枚かな?

ベストタイム(EF81牽引の安中貨物)


夕陽と列車をからめた写真。
風景写真を撮る人は、昼間は昼寝をしているそうです。
朝・夕がベストタイムだというのでしょう。
たしかに、朝・夕は光の色や明るさの変化も激しく、影も変化に富んでいる。
2011_2_21 も夕方の撮影でした。新町-倉賀野間で撮影。
太陽の位置と列車の位置のバランスなどで、写真になった一枚です(^^;
今度は、C61と夕陽や夕焼けをからめて撮りたいですね。

龍ヶ森トンネルから(花輪線)


1967_7_16 撮影。
花輪線の龍ヶ森。
ここ龍ヶ森はサミット駅。
撮影は、ケムリを吐く側で撮るため、上りか下りのどちらか一方でおこなう。
龍ヶ森トンネルの上から、サミットに向かうハチロクを一鉄。
木材を積んだトム?トラ?が懐かしい。

碓氷新線・横軽複線化完成ポスター


「碓氷新線・横軽複線化完成」ポスター。
1966_7_23 軽井沢への電車の中に掲示してあったポスターを複写。
右の62が、新設の下り線。
この62、もちろん停車中ですよね?
この年の7月2日に複線化が完成、あれから45年がたったのですね。

2011年7月26日火曜日

こんな一枚が撮りたい・・・(D51498)


D51の背景がこんな感じの一枚が撮りたい。
今の上越線のSLダイヤでは、敷島は16時12分通過ですから、実際、夕陽を背に撮れるのは秋になってからでしょう。
まだ、秋の臨時ダイヤは発表になっていませんが、今から楽しみ(^^:
2011_7_24 渋川-敷島のいつもの場所で撮影(フォトショップで加工)。

安中貨物にカシ釜が来た日


EF510の510号機が安中貨物として来ると、「ラッキー」っていう感じ。
2011_7_13 がそうであった。
EF81が来なくなって久しいが、たまには姿を見せてほしいですね。
高崎操車場のアウトカーブで撮影。
明日、2011_7_27 には、「くんまワンデイパスSP」を使ってみようかな・・・。

2011年7月25日月曜日

やわらいだ雰囲気(D51498)


C6120が修理に入っているらしい。
7月23日、24日、31日の登板は、D51が代走。
この一枚は、2011_7_24日 渋川-敷島の宮田地区で撮影。
ここは、10パーミルの下り坂なので、ケムリは期待できない。
・・・ということで、このアップはどうでしょう。
キャブと乗務員のシルエット。
下り坂で、帰りの仕業なので、「やわらいだ」雰囲気が感じられるようだ。

C12重連のシルエット(足尾線)


写真の「腕」は、40年以上前と変わらないか、落ちたか・・・(^^
線路を斜めにした構図がニクイ。
1968_5_3 大間々-相老間で撮影したC12の重連貨物。
このころから、「シルエット」写真に関心があったのだろう。
いまでも、EF510やC61、D51のシルエットに挑戦している。
小さなC12が足尾をめざす。

上目名のC62重連


わが撮り鉄人生では、C62はまさに恋人であった。
ちょうど、大学生になったころと重なったのは幸いであった。
ここ上目名になんど通っただろうか。
この一枚は本来、C62重連であるのに、「重連」に見えないので失敗?
レンズも28ミリ、55ミリ、135ミリの3本で撮りまくったが、フィルムは新宿のヨドバシカメラで買い、トライXの長巻を切ってパトローネに入れ替えて使ったこともあった、
また、特に望遠レンズは手動なので、ピント合わせには苦労した。
1967_7_18 函館本線上目名-目名間で撮影。
上目名は、今はどうなっているのだろうか?

2011年7月24日日曜日

薄日の空(185系)


渋川-敷島間でD51の上りを待っていた。
その前に185系が通り過ぎた。
太陽を背景に一枚撮ったのがこれ。
薄日の差している曇り空の雰囲気が良く出た。
2011_7_24

JR吾妻線付替え用「第三吾妻川橋りょう」


JR吾妻線の線路付け替えのため、「第三吾妻川橋りょう」の建設が進められている。
2011_2_9 の撮影時点でも、完成間際という感じだった。
写真の左方向に長野原草津口駅がある。
岩島-長野原草津口間では、他にはこのブログで紹介済みのコンクリート製の「第二吾妻川橋りょう」もある。

2011年7月23日土曜日

横軽最終日のロクサンと115系


横軽最終日1997_9_30の横川駅。
ともかく大賑わい。
次々に最終列車が発車する。
189系、115系などの・・・。
これは、長野支社の115系の最終で、軽井沢に向かうところだったか。
あれから、もう14年が経過する(~~。

第二吾妻川橋りょうとその脇を走る115系


2011_7_23 ヤンバに行って来ました。
4月に比べ、ダムに一番近い「湖面1号橋」の橋脚が1本完成していました。
さらに、東吾妻町のダム関連の松谷道路の一部が完成していました。
この一枚は、東吾妻町のJR吾妻線付替えの「第二吾妻川橋りょう」と
その脇を走る115系普通電車。
JR吾妻線 岩島-川原湯温泉間で撮影。
画像サイズを大きくしました。

2011年7月22日金曜日

ヤンバを行く115系


しばらくヤンバには行っていない。
その後、どうなっただろうか。
この一枚は2011_4_30 撮影。
不動大橋の下を115系普通電車が通過している。
ここは、ヤンバの絶景ポイント。
ただし、撮影地近くには駐車場はないし、駐停車もできない。
あと少しで、ヤンバダムの検証結果もでるようだが、この岩島-長野原草津口間に関しては、線路の付け替えがおこなわれると見ている・・・。

畑の中のロクサン(2)


畑の中のロクサン。
横川の「峠の湯」の南の畑の中に、EF63が置かれている。
№は除去され、機番は不明。
背景には、裏妙義の山塊、手前にはシュロの木が・・・。
個人の所有なのだろうか?
露天なので、このままではじきに錆で朽ちてしまうだろう。
2011_3_6 峠の湯の南で撮影。

2011年7月21日木曜日

このスタイル好きだった(D51498)


この写真を撮ったころ、2011_4_12 。まさか、このスタイルが原型に戻るとは・・・。
予想していなかった。
6月に青森から配給で戻ったあと、数日で「変身」したのですね。
それにしても、このスタイル、好きだった!。
高崎機関区から高崎駅への機走線で撮影。
また、いつかこのスタイルにもどるかな?

ぐっと線路を下げてC6120を撮影


第一利根川橋りょうを渡る12系をけん引するC6120。
定番の撮影地だが、構図では、ぐっと線路を下げてみた。
橋を渡っているようには見えないのがネライ(^^。
回送なのでお客さんの姿が見えないのは残念。
2011_6_24 渋川-敷島間で撮影。
ともかく、暑かった(^^;

C6239入線(常磐線広野)


常磐線広野駅。
1967_9_30 常磐線から煙の消えた日。
本命は朝のC62けん引の「ゆうづる」。
これを撮った後、広野駅から平へ戻る途中の一鉄。
原発の事故でこの辺はどうなっているのだろうか。

気に入っている構図でC61+C57重連を撮る


似たようなカットばかりかもしれません。
でも、このシルエットの構図は気に入っているのです。
2011_6_30 渋川-敷島間の築堤で撮影。
上り列車で、10パーミルの坂を下るので煙は無しです。
前にも書きましたが、ここに「夕陽」が差していればなお、いいのですが(^^;

2011年7月20日水曜日

都電19番系統を秋葉原で


東京の交通100年博~都電・バス・地下鉄の"いま・むかし"展が江戸東京博物館で開催されている。
そこで思い出したのが、都電のこの一枚。
1961_4_30 秋葉原で撮った19番系統王子行きの都電。
父親に連れられ、上野公園、鉄道博物館、羽田空港などに行っている。
13歳のころ・・・(^^;
都電は、このあと「銀座から都電が消える前日」に撮影しただけ。
その点からは、この一枚は貴重な一枚だ・・・。

超有名撮影地でC622号機を


1970_8_19 函館本線大沼。
大沼駅から徒歩圏内にある超?有名撮影地。
朝の通勤列車をなんと!C62の2号機がけん引している。
背景には、小沼、その後ろには駒ケ岳が・・・見えませんが。
この年の4月には就職。
夏休みをとって鉄研の合宿に一部分だけ参加した。
そう、このブログも1年を経過したので、
「再掲」の写真も少なからずありそうな気が最近している?(^^;

ED71を黒磯で


1963_8_6 夏休み。
ED71が見たくて黒磯へ。
直流の電機しか見たことがなかったので、新鮮でした。
黒磯駅のはずれ、白河寄りで撮影。
後から考えて見れば、ここに来るよりは、廃止が近い蒸機の撮影に行ったほうが良かったはず(^^

DJフォトコン落選作品ですが・・・



もうひとつフォトコン落選作品。
DJフォトコンに応募しました。
7月15日発売のDJに結果が出ていました。
そこには、わが応募作品は掲載されていませんでした。
・・・つまり落選(^^。
そこで、落選作品を紹介します。
2011_2_3と3_8 新町-倉賀野間で撮影したEF510、安中貨物です。
510のシルエットの感じがいいな、と思ったのですが。

2011年7月19日火曜日

榛名梅林を行く長野新幹線


ヤマダ電機のフォトコンがあった。
3枚応募したが、落選でした。
そんなことで、応募した一枚をアップします。
いつもそうですが、自分では入選はかたい、と思ったのですが・・・(^^;。
2011_3_24 長野新幹線と榛名の梅の「鉄道風景写真」です。

上越線の三重連


上越線の三重連。
家族で鯨波に海水浴へ。
この写真は、土樽-越後中里間での撮影。
1965_7 のこと。
本務機はEF58で、それにEF15か16が補機として付いている。
結局は「三重連」としての運行だ・・・(^^。
このころ、もっと真剣に撮り鉄趣味に没頭していれば、いい写真が残せたのに・・・残念!

ムドのDD15


EF15(高二)に牽かれたムドのDD15。
これは、1962年ごろに製作されたラッセル付きだが、冬季以外はラッセルをはずし、DD13同様の入れ替え作業が出来るすぐれもの?
最近、2011_7_に高崎操車場でDE10などのムド配給がけっこう頻繁なので、探しだした一枚。
1964_9 高崎操車場で撮影。

野辺地でC6129を撮った


C6129号機。
東北本線の野辺地で撮影。
千曳と乙供周辺は線路の付け替えがあり。特に千曳付近は、電化工事はされてなかった。
ほんの半日程度の千曳訪問だったが、今では貴重な半日であった。
千曳からさらに北に向かったのが、野辺地。
停車中のC61を一鉄。
1968_7_11 撮影。このあと北海道へ渡った。

2011年7月18日月曜日

今日の安中貨物はめずらしくEF81


下りの安中貨物をあと追いで撮ろうと待っていたら、やってきたのがコレ。
EF8195でした。
荷はなく、単機でやってきました。
上りは荷があると思いますので、当地を21時少し前に通過する夜間走行写真に挑戦してみます。
2011_7_18 高崎-倉賀野間の高崎駅東南で撮影。
その後、上りを撮影したのがコレ。
やはり、荷がありませんでした。
そうなると、何のために安中まで来たのでしょう?

今日からD51が登板


今日の「SLみなかみ」はD51。
後でチラシをみたら、当初からD51だったのですね。
となると、C61は検査のため、今月(7月)いっぱいはC61でなく、D51での運行ということですね・・・。
久しぶりにD51を見た感じでした(^^;
2011_7_18 高崎車両センター入り口で撮影。

C60けん引の小荷物列車


C60けん引の小荷物列車。
今では、なくなってしまったが、小荷物専用の列車があった。
しかも、市販の時刻表にきちんと掲載されていた。
東北本線の長根-滝沢の旧線は、印象深い撮影地のひとつ。
1967_8_6 夏の暑い日に撮影。

EF15けん引の旅客を津久田・岩本間で撮った



津久田・岩本間は、すでに1965_7_23の時点で、いい撮影地であった。
EF15がけん引する旅客列車が、棚下地区を行きます。
対象となる電機が小さいのでこの一枚は、画像を少し大きくしました。
ちょうど46年前の一枚ですね。
このころは、望遠レンズも広角レンズもなく、ただ標準レンズ一本で撮影したのです。
それでも、それなりの写真は残っているのですから、安易に望遠や広角でなく、標準レンズでシッカリした写真を撮りたいですね(^^;

2011年7月16日土曜日

渋川駅の発車シーン


2011_7_16 先ほど、NHK総合TVの「復活 山田洋次・SLを撮る」を見終わりました。
今日何回も撮影した、あのC6120の復活のドキュメントでした。
エンドタイトル前の走行シーンで、谷川岳方向に向かって走って行ったところが特に印象的でした(^^;
今日の一枚は、渋川駅を発車したC6120です。
めずらしく、手持ちで撮影しました。
2011_7_16

C6120の「黒ビカリ」のボディ


今日2011_7_16 は2回も渋川の宮田地区へ行きました。
C6120の下りと上りを2本撮りました。
最近は、暑さ対策と並んで、沿線で撮らせてもらうための地区の人々への配慮、気遣いなどが課題となっています・・・
夏の太陽の光を受けて、「黒ビカリ」のボディが印象的でした。
そう、7月23日、24日、31日はC61からD51へのカマの変更が予告されていますね。
渋川-敷島間で撮影。
動画は、上り列車。

2011年7月15日金曜日

旧丸山信号所付近をゆく「あさま」号


1996_4 碓氷新線が廃線になる1年前。
旧丸山信号所付近の上り線を行く「あさま」号。
ここの真上には上信越道が通っている。
アプトの時代の最後を知っているが、まさか、この新線までもが廃線になるとは・・・。