2012年3月31日土曜日

台湾の石炭列車


2012_3_31 肺炎もようやく癒えてきました。
血液による炎症反応も通常に戻りました。
全快まであと少しと思います。
というわけで、最近はでかけることを控えています。

17時40分 アッ汽笛が・・・。
D51が水上から帰ってきたのでしょう。(^^。

さて、今月最後の一枚は、台湾の龍井煤場で撮った石炭列車。
このツアー、こんな現役の線路にまで入らせてもらいました。
石炭を輸送する列車の組成が終わり、火力発電所に出発する前の一こまです。
「指差唱呼」をしているのでしょう。
2012_3_10 撮影。

大宮機関区のキュウロク


3月21日発売のRM(Rail Magazine)の2012-5 №344が送付されてきた。
大宮機関区の「SL甲組」の肖像のコーナーに提供した数枚の写真が掲載されていたためです。
提供したのは、主に水戸線関係のD51の写真でした。
ということで、今日の一枚は1968_9_9 撮影の大宮機関区のキュウロク。
操車掛に導かれてやってきた「生き生きした」時代のキュウロクを捉えたものです。

2012年3月30日金曜日

平渓線平渓駅付近の路地から


この3月は「台湾」でおわりそう。
3月8日から12日までの5日間だった。
南国らしい風景もあったが、ごちゃごちゃしたこの写真のようなところもあった。
2012_3_11 平渓線平渓駅付近。
漢字の国なので、親しみやすい台湾でした。

長電屋代線 いよいよ明日限りで廃線に


長野電鉄屋代線は明日31日で廃線になる。
すでに、電車の正面には「さよなら」の掲示が出されているという。
この一枚は、2012_1_16 長野電鉄須坂駅はずれでの撮影。
保線の作業の脇を通過する屋代行き。
この風景も思い出のかなたに行ってしまう・・・。

2012年3月29日木曜日

菜の花の日高遺跡脇を通過する115系


ここ日高遺跡は、関越高速が出来る前に発掘された弥生時代のもの。
発掘したあと、埋め戻され撮影時の2009_3_30ごろは、景観植物として菜の花の種が蒔かれていた。上越線の沿線でもあり、菜の花と絡めた列車の撮影に何回か通った。
通過する列車としては、EF64の重連が消えているほかは、今日まで変化はない。
上越線 井野-新前橋。

2012年3月28日水曜日

雪の日のキュウロク 自宅2階から撮影


自宅から撮ったキュウロク。
1968年 雪の日。
キュウロクの推す入れ換え機関車で、
高崎操車場のハンプの廃止のだいぶ前の撮影。
右のシュロは、自宅庭に生えていたもの。

2012年3月26日月曜日

台湾 南廻り線のDC


正確には、「中井精也先生と行く世界の撮り鉄紀行 海外編第一弾」ということで、
台湾に5日間行ってきました。
すでに、何枚かこのブログでアップしてきましたが、さらにもう一枚・・・。
2012_3_9 南廻り線 知本(じーべん)-太麻里(たいまーりー)間でのDC。
右上の海は太平洋。
小雨模様でしたのですが、いい感じに写りました。
周りの植物が、台湾らしいですね(^^。

自宅からED42を撮影


1966_3_29 このころ雪が降ったのだろうか。
1963年の秋に廃止されたアプト式のED42が留置されている。
その脇をでか目の115系が上野をめざす。
ED42の正面窓には、石かなんかで割られた跡が痛々しい。
自宅からの撮影だ。

失敗作? 姥捨で撮ったD51



この一枚は失敗作だと思っていた。
しかし、このホワーッとしたソフトなピントの一枚を見ていると、
失敗作ではないと思いました。
姥捨のスイッチバックを篠ノ井方面に下っていくD51+貨物+D51。
下り坂なので、煙は吐かないがそれが、いい雰囲気を醸し出している。
1967_4_15 篠ノ井線姥捨。

2012年3月25日日曜日

新製時の上信電鉄クハ302


地元の私鉄が上信電鉄。
今日のように「本気」で撮ってなかったせいか、残っているコマ数は少ない。
これは高崎駅で撮ったクハ302とデハ203の編成だろうか。
塗装が新製時の塗りわけになっている貴重な一枚だ。
なお、当時は「快速」が運転されていたようだ(^^。
1965_9 撮影。

2012年3月24日土曜日

鉄分が近い自宅です D51498をスナップしました


自宅の西にアパートがある。
2012_3_24 夕方5時すぎ、汽笛が・・・。
すぐにそのアパート脇で撮ったのがこの一枚。
EH200の右に、今帰ってきたばかりのD51とその白い蒸気を撮影。
我が家から「鉄分」は、とても近いところにあるんだ(^^。
FUJIのF600コンパクトデジカメで撮影。

C62 朝の光を浴びて


1967_4_1 常磐線四ツ倉。
C6248がトンネルを抜けた。
朝の光を浴びて・・・。
もう45年前になる。

2012年3月23日金曜日

台湾の動態保存機


台湾の動態保存機。
左からCK101,CK124,DT668。
CK124と日本のC12の違いは、
①除煙板があること。
②カウキャッチャーがあること。
の2つかな?
2012_3_10 彰化扇形庫で撮影。

「白鳥」を押し上げるロクサン


今日、2012_3_23 の19時から松井田で、ボランティアガイドのための研修会が予定されていました。この春「アプトの道」が熊ノ平まで延長することから、研修をしておこうというものです。
でも、点滴を受けており、肺炎がまだ治りきらないので、不参加としました。
そこで、今日の一枚は1966_7 撮影のロクサンの写真。
横川駅をキハ82系「白鳥」が発車するところを流し撮りをしました。
この当時はこのようなところから撮影できましたが、だんだん規制が加わり、ロクサン廃止のころには、とても撮れる状況ではなくなっていました。(^^。

2012年3月22日木曜日

信越本線のナメクジD51



1965_7 の、この一連のネガに家族5人で鯨波に行った映像が何枚も写っていた。
故人になった父母のすがたが、懐かしい。
でも、自分は写っていなかった。
縦のコマが多いので、オリンパスペンで撮ったのだ。
その中の一枚をスクエアにトリミングしたのが、コレ。
D5133号機。
いわゆるナメクジドームのD51。
行き先は鯨波なので、信越本線のどこかの駅撮りだろう。
こんなカットは、日本中どこでも撮れたのだ(^^。

2012年3月21日水曜日

120度パノラマで撮った彰化機関区


fuji film のコンデジのF600EXRで撮影。
せっかくのパノラマなので、もっと撮影を欲張ったほうがよかったが・・。
彰化扇形庫のお立ち台からの120度で一枚(^^。
庫の中のSLは、左からCK101,CK124.DT668。
2012_3_10 撮影。

跨線橋とEF510


自宅前に高崎線が通っている。
毎夕、5時15分すぎにEF510けん引の安中貨物が通過する。
この跨線橋は、高崎操車場の開かずの踏み切り対策で造られたもの。
撮影対象として、はじめてカメラを向けた。
502号機が安中をめざす。
2012_3_20
まだ点滴中なので自宅前での撮影だ・・・。

2012年3月20日火曜日

旧型客車


ここ台湾でも、旧型客車は珍しい。
3両という小編成なので、DCに置き換わるのも間近だろう。
手前の果樹はマンゴーらしい。
南廻り線内獅(ねいしー)・加禄(じあるー)間で
2012_3_9 撮影。 
自分ひとりでは、とてもいけない「台湾鉄道撮影の旅」でした。

次回は、「インドネシア鉄道撮影の旅」が6月に予定されている。

DLけん引の客車急行


台東市から少し南下した南周り線の知本・太麻里間。
DLの牽く客車列車。
急行呂光号が太平洋をバックに走る。
ただ、天候が小雨模様なので、スカット晴れればもっとよかった(^^。
2012_3_9 撮影。

2012年3月19日月曜日

台湾新幹線を流す!!


「台湾鉄道写真の旅」では、台湾新幹線を撮る機会もありました。
「彰化」という町の近くでしょうか、「銀河の鉄道の夜」という新幹線が見えるレストランでした。
トワイライライトの時間帯であったので、いい雰囲気の写真が撮れました。

2012_3_10 台湾新幹線を見下ろすレストランから・・・

平渓線十分の町



台湾北部の平渓線を訪ねたのは、4日目。
その中心が「十分」。
町の中をDCが走っている。
町があって、その中を列車が走っているという感じ。
あちこちに、小さな「熱気球」が揚げられていた。
気球といえば丸だが、実際は赤いごみ袋みたいな感じのもの。
列車の通過前、通過後の空いた時間帯に線路上から揚げられるのです・・。

彰化機関庫のDT668


台湾の西海岸の彰化扇形車庫を訪問しました。
普段は、機関庫の中には入れないのを、特別にヘルメットを被って入らせてもらいました。
ワタシにとっては、日常となっているD51(DT668)ですが、機関庫の中から見るのは、何年ぶり。
この日は火が入っていないので、機関庫は蒸気なしでした。
でも、キャブにも登り撮影できました。
なお、ここにも「ナカイ」ファンが出迎えてくれました。
2012_3_12 台湾鉄路管理局彰化扇形車庫

中井精也さんと台湾に行きました


2012_3_8 から3_12 まで「中井精也さんと行く、台湾鉄道写真の旅」に行ってきました。
でも・・・・。
風邪をこじらせて肺炎になってしまいました。
帰国後毎日、午前午後2回も点滴を続けています。
ようやく、回復へのきざしがみえたので、このブログを再開できました。
2012_3_19 の昼前、NHK総合で中井精也さんの出演している番組(ひたちなか海浜鉄道)を見ながらのアップです(^^・

この一枚は、内湾線の竹中・上員間でのCK124とCK101との重連。日本の「釧路湿原号」との姉妹列車を記念したものだそうです。当初の撮影計画に無かったものだけに、8名の参加者は大感激でした。

2012年3月7日水曜日

ハチロク重連でプッシュ(花輪線竜ケ森)


1969_1_18 花輪線の竜ケ森へ。
お目当てはハチロクの三重連。
前部の三重連だけでなく、本務機+貨物+補機+補機の組み合わせも・・・。
この一枚は、後者の組み合わせで、二両の後部補機がプッシュしている。
鉄道写真撮影の最高の悦楽だった。
なお、明日から台湾鉄道写真の旅へ行ってきます。

2012年3月6日火曜日

広々感のある安中貨物を撮るなら今のうち


高崎操車場の跡地再開発が行われている。
5月にはあのラスクで名高いハラダの工場が着工する。
そうなると、このような写真はもう撮れなくなる(撮りにくくなる)。
撮れるのは、あと2ヶ月ぐらいだろうか・・・。
2012_3_6 高崎操車場南の再開発用地からの撮影。
ND4フィルターを使用し、4分の1のシャッターで撮りました(^^。

2012年3月5日月曜日

雪の舞う中 ロクヨン重連高崎操車場を発車


「RM今日の一枚」は、良く訪問するWEB。
何回か投稿もし、RMステッカーも手に入れた。

最近の投稿では、「雪」と・・・・、が目立つ。
ということで、
2010_3_10 撮影のロクヨン重連の高崎操車場発車をアップ。
2年前までは、このようにロクヨン重連が上越線を走っていた。
大粒の雪が吹き付ける中の夜間走行編成写真だ。

梅の大木とゼブラ電車。


上信電鉄沿線に大きな梅の大木があった。
手入れがしてないせいか、木の真ん中は黒くなっている。
でも、これほどの大木は珍しい。
ゼブラ塗装の広告電車が通り過ぎた。
2011_3_13 あの大震災の2日後の撮影。
(上信電鉄 高崎商科大前-根小屋)

EF551号機


2008_12_13 高崎駅。
EF551が水上へ向けて発車。
たった3年前には、こんなふうに走っていたのだね。

このブログで何回かアップしているのは、主に2号機。
塗装のつやが無く、白粉がふいている車体だった。

でも、これは1号機。このあと引退し、高崎機関区(車両センター)内に留置されていたが、最近は姿が見えない。

2012年3月4日日曜日

157系「日光」号


185系一編成が、「日光」塗装になった。
ということで、157系「日光」号を撮ったのは1965_9_29 小山駅。
きちっとした編成写真でなく、ただのスナップに過ぎないが・・・。
この157系は、151系「富士」の踏み切り事故のさい、上越線の「とき」として高崎にやってきている。この時ワタシが撮った157系「とき」の写真は、
RM(レイル・マガジン)に掲載されている(^^。

2012年3月3日土曜日

足尾線のC12を上神梅あたりで


足尾線のC12の下り貨物が上神梅を通過する。
バイクで、相老あたりから追っかけてきた。
当時は道路もきちっと舗装されていなかったと思う。
これらの足尾線のC12の写真を見ると、こんな時代があったのだ、
と感慨ひとしお。
1969_1_16 このときは、まだ21歳になったばかり・・・。
いまでも、この上神梅駅は当時のおもかげを色濃く残している(^^。

2012年3月2日金曜日

雪の積もった日の翌日朝の「あさま」が撮りたい


雪の降った翌日の朝。
晴天。
下りの一番列車。
こんな条件の長野新幹線あさま号が撮りたい。
撮影場所は、ココ。
安中榛名駅の東の跨線橋。
この一枚は、2009_9_16 撮影。

D52を五稜郭機関区の庫内で撮影


D52といえば「五稜郭機関区」。
あの巨体は、D51を一回り大きくした感じ。
この機関区には、D52のほか、
折り返しの(小樽築港機関区の)C62も一両休んでいるので、とても楽しみな場所。
庫内にも入らせてもらい、蒸気と油の充満する様子も一鉄。
今では、庫内でも三脚なしで、そのまま撮れるが、
当時はバルブでないと撮りづらかった。
それにしても、こんな写真が撮れたなんて、おおらかな「時代に感謝」。
1969_3_5 撮影。

2012年3月1日木曜日

96のシルエット


1968_9_9 は、大宮機関区へ。
9600やD51が活躍し、
大宮機関区のほか、川越線や八高線、東北本線(水戸線)でも見られたようである。
この一枚は、太陽を背にしたシルエット写真。
このころから、けっこうこういったシルエット写真や部分のアップ写真を撮っている。

EF62のフロントマスクを撮る


1963_3 は、高崎第二機関区へ。
この年の7月、碓氷新線が暫定開通。
秋には、アプト式碓氷旧線は廃止された。
新製のEF62が次々に高二に配置され、ピカピカの新車を撮りに何回も出撃していた。
でも、いつもながら「まともな形式写真」は、ゼロのありさまだったが・・・。