はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
2012年5月31日木曜日
油彩調のロクヨン「あけぼの」
ロクヨンを斜め前から撮影。
HDRで油彩調に調整。
こんな雰囲気の「あけぼの」もいい。
撮影場所を高崎操車場の倉賀野寄りに移動しましたが、近くの建設現場の仮設囲いが結構邪魔に。
そのため、編成全体はもうここでは撮れなくなりました。
なお、この列車が青森まで行くなんて、「すごい」と思いました。
2012_5_31 夜10時40分すぎ撮影。明日は水月六月だ。
ロクヨンをサイドから
よなよな高崎操車場の南で「あけぼの」の夜間走行写真に挑んでいる。
2012_5_30 も、サイドからの一枚。
真ん中の電柱の影が画面を二分しているのが気になる。
ロクヨンのボディを照らす光は印象的である。
結局、傑作はまだものにしていない・・・。
この日は20分も遅れて通過(待っているのに少し寒かった)。
2012年5月30日水曜日
新緑の中を疾走する「あさま」号
「アプトの道」からの帰り、霧積みの碓氷峠で長野新幹線を一鉄。
霧積み温泉の途中にある長野新幹線「霧積み橋梁」を渡る「あさま」号。
耳を澄ませて接近を感じとり、シャッターチャンスに集中。
「あっ」というまに通過していきました。
2012_5_30 明日で5月はおしまい。今年もお正月から数えて6ヶ月目になるんだね。(^^・
ローマの水道橋をほうふつとさせる「めがね橋」
2012_5_30 は、気象も体調も大丈夫なので、「アプトの道」へ。
実は、ここのボランティアガイドをしに行ったのです。
3月から4月まで、体調不良だったので、数ヶ月ぶりのガイドでした。
4月から、熊ノ平まで「アプトの道」が延長されたので、まずは自主研修ということで、めがね橋から往復してみました。
その後は、めがね橋の西のたもとで、定点ガイドを務めました。
今日の一枚は、その「めがね橋」。しかも、逆光ぎみで撮影しました。そのほうが、HDRを通すと「効果的」なのです。
下から見上げると、「ローマ時代の水道橋」をほうふつとさせる雰囲気を持っていました。
2012年5月29日火曜日
高崎線最後の?ロクヨン重連
2012_5_28、EF64の重連がまだ走っているかな、と思っていました。
でも、高崎操車場に行ってみると、もう走っていませんでした。
16時ごろ高崎操車場に到着する焼島貨物でしたが、すでにEH200に代わっていました。
線路端で話しかけたある鉄ちゃんの話によると、どうも高崎線では、ロクヨン重連は走っていないようです。
そこで、今日アップする一枚は、2012_1_6 撮影の高崎線の最後の?ロクヨン重連。
西日をサイドに受け高崎操車場を目指しています。
こんな一枚でも「貴重な一枚になりました」。
新町-倉賀野間で撮影。
2012年5月28日月曜日
新津工臨のEF641001
「新津工臨」を牽引するEF641001の高崎操車場発車を撮影。
高崎操車場の構内から高崎線下り本線に入るところのアウトカーブ。
こういったアウトカーブは、撮り鉄の教科書でも、安全に撮れる箇所として紹介されている。
時刻は16時55分過ぎだったか。
このあと、「安中貨物」のEF510を撮影したあと、撤収。
2012_5_28 撮影。今日の不安定な気象も、この時刻には青空が回復。
碓氷新線の直線区間を行く「あさま」号
長野新幹線の開業で廃止される碓氷新線(横川・軽井沢間)を撮影に何度訪問したことか・・・。
これはその1年前の1996_8_13 撮影の丸山変電所跡付近を通過する特急「あさま」号。
このあたりは、アプト時代から複線化されていた箇所で25パーミル程度の坂。
写真でもわかるように直線区間でもある。
後方上空には上信越自動車道の高架橋が架設されている。
2012年5月27日日曜日
2012年5月26日土曜日
EF62,63,64,65のトップナンバーの並び
高崎第二機関区でのイベント。
1986_10_10 撮影。
機関車のナンバーをよく見たらなんと・・・。
全部トップナンバー、1号機だった。
右からEF621、EF631、EF641、そしてEF651の並びだ。
こんな並びがあったなんて(^^・
碓氷川橋梁をゆく特急「あさま」
1996_2_12 撮影。
碓氷新線の碓氷川橋梁をゆく特急「あさま」。
補機はEF63の重連。
冬枯れの碓氷路だ。
ここ碓氷川には3本の橋梁が架かっている。一番南側が、アプト時代の碓氷第三橋梁。
あとの二つが、この下り線と上り線のアーチ橋だ。
これら、新線はトンネル区間が長いので、撮影場所は限られていた。
撮影の観点が今とは違っていたので、どの写真も同じような撮り方なのは残念な思いだ。
信越本線 横川-軽井沢間で撮影。
やって来たのはC61の試運転列車
いつものパターン。
畑で農作業をしていると、「汽笛」が・・・。
作業を切り上げ、井野駅の北方へ出かけた。
D51かと思っていたが、やって来たのはC61。
旧型客車1両を牽いてきた。
ハドソンの軽快な排気音を響かせて通過。
2012_5_25 上越線 井野ー新前橋間で撮影。
夜の闇を行く「あけぼの」
ふたたび「あけぼの」。
構図は、前回と同じ。
2012_5_25 。この夜の一枚は、電源車の照明(ヘッドサイン)付近が主題で
闇の中、けん引機のロクヨンを照らしている。
下りのあけぼのには、2回ほど青森まで乗ったことがあるが、ここ高崎停車時にはほとんどの人が寝ていた。
高崎操車場の下り本線を撮影。
2012年5月25日金曜日
高操で最後の仕業をこなすDE11
高崎操車場のハンプが廃止になったのは、1984_2_1 。
この一枚はその廃止直前の1984_1_29 に撮影。
押し上げ機は、DE1153号機で、D51や9600に代わって登場したディ-ゼル機関車だ。
背景をつぶさに見ると、当時の様子がわかる一枚になっている。
キリン麦酒高崎工場は健在だし、操車場の数基の照明塔も林立している。
まさか、この高崎操車場のハンプが廃止になるなんて・・・と、今でも思っている
。
1997 さよなら碓氷峠イベント
ちょうど15年前の今日、「さよなら碓氷峠イベント」が1997_5_25 横川駅・横川運転区で開催された。
碓氷峠の歴史や峠を越えた列車たちのパネルなどのコーナーやED42やEF63の見学コーナーなどがあった。
写真は、1997_4_24 の全般検査でぶどう色2号(茶色)に塗られたEF6324号機。
2012年5月24日木曜日
「あけぼの」の夜間走行写真
昼は暑くても、夜は寒くなく行動しやすくなりました。
久しぶりに、高崎操車場での夜間走行写真を撮りに・・・。
あの原田の工場の建設が始まっていましたし、仮設の囲いも出来ていました。
もう、あの広々とした風景は過去のものになってしまいました。
そこで、これらを避けて撮ったのがこの一枚。
EF64と24系を横から流し撮りした。
2012_5_24 午後10時40分ごろ撮影。
旧型客車を牽くEF551
このころEF551が復活して、イベント列車が何本も運転されていた。
故障の危険から、EF641001が次位に連結されていた。
客車は旧型であったが、12系のときも多かった。
撮影地は、なんと自宅前の高崎線。
今はこのときよりも電線が多くなり、すっきりしなくなっているが、このときのほうがまだましだった。
それでも、撮影地としては一級とはいえなかったが・・・。
「お手軽な撮影地」だったことには、違いない。
撮影年は1987年。月日は不明だ。
ロクサンとロクニの1号機 貴重な並びだ
1987_8_2 撮影。
場所は高崎第二機関区。
このころイベントがあったのだろうか。
記録がないので、どんなイベントかは不明だが、結構夏とか秋とかには構内を開放していたので、そのひとつだろう。
ロクサンEF63とロクニEF62の1号機が並んだ。
この1号機は、中学の3年生のころから結構撮影しているが、こういった「並び」では撮ったことはないので貴重な一枚。
熊ノ平を通過する「あさま」
碓氷新線の廃止を1年後に控えた1996_10 熊ノ平を訪問した。
すでに、駅としての機能は1966_2_1 付けで終わっており、列車は通過するのみであった。
ホームの一部は使用できないように改修されているところも見受けられた。
写真は、下り「あさま」が63.0パーミルの3号トンネルを出て、熊ノ平構内を通過するところだ。
山間のこの地は、1950年6月の山津浪で、駅員や救援作業員らが遭難し、73名が生き埋めになったそうである・・・(合掌)。
この写真を見ると、いまでもロクサンのホイッスルが聞こえそうである。
2012年5月23日水曜日
D51+C58重連高崎を発車
ここ2日ほど、フィルムスキャナーを使った作業をしていました。
・・・というのは、以前撮りためたフィルムが見つかったためなんです。
出てきたのは、高崎操車場関係、高崎駅での蒸機の発車関係、横川駅や軽井沢駅での碓氷線関係のものなどです。
徐々に、このブログで紹介しますが、1980年代から1990年代の「人生録」になるものです(^^・
さて今日の一枚は、1995_1_3 撮影のD51+C58の重連が高崎駅を発車する場面です。
17年前の、このころ、何回かこの組み合わせがあったようですね。
2012年5月22日火曜日
インカーブで朝の「あけぼの」を
朝の「あけぼの」の編成写真に挑戦し続けている。
でも、曇り空。
ISOは1000で、1000分の一のシャッタースピード。
インカーブ気味の撮影で、最後尾まで一応写っている。
でも、なかなか満足のいくものが撮れずじまいで、撤収へ。
他の場所をまた探してみよう(^^・
2012_5_22 高崎線で撮影。
2012年5月21日月曜日
金環日食とEF210
金環日食とEF210のシルエットを合成した。
EF210は2012_1_6 撮影。日食は2012_5_21 撮影。
キャノンのDPPで合成したもので、もちろん実際はこのようには撮れない。
合成には、日食とうまく会う映像探しが決めてだ。
それにしても、日食は見るだけで、当初は撮影予定はなく、泥縄式にあせって撮影したもの。
でも、撮っておいてよかった。
EF210は高崎線新町-倉賀野間で撮影。日食は自宅庭で撮影。
今朝の「あけぼの」 編成写真はむずかしいネ
編成写真は難しい。
今朝、「あけぼの」を撮ってきましたが、いろいろな点で不満足。
見本になるようなのが、なかなか撮れない。
サイドに十分、太陽の光が回っていなかったり、最後尾が切れた感じだし、うるさい感じだし・・・。
また、挑戦ですね。
2012_5_21 の金環日食の時間は、よく晴れていました。(^^・
2012年5月20日日曜日
DPPのHDR機能を使ってみました
キャノンの画像ソフトウェアに「DPP」というのがある。
RAW現像とプリントまでできるすぐれものだ。
今度バージョンアップされ、「HDR」機能が付加された。
5DマークⅢが発売になったためだろうか。
そのHDRを使ってみた。
ただし、今回は3つの画像の合成でなく、2つの画像の合成を試した。
露出は1段階づつ変化させて3枚連写し、そのうち2つの画像を合成した。
(3枚合成したら、ピントが合わないようになったので今回はボツに)。
出力は、「絵画調」にしてみたが、できばえはどうかな。
三脚を使用して3枚連写をすれば、もっとうまくいくかも・・・(^^・
なお、走行中の写真は、ぶれたようになってうまくいきませんでした。
2012_5_20 高崎線 高崎駅と高崎車両センター間の回送線で一時停止している115系を連写し合成。
2012年5月19日土曜日
横長で「あけぼの」を
写真家山﨑友也さんの写真集「夜感鉄道」を図書館で借りている。
写真の一枚が、それぞれB5横+B5横の横長のトリミングが多い。
そこで、今日の一枚は上りの「あけぼの」でまねっこ。
朝の太陽の光を進行左前に受けて上野をめざすロクヨンと24系。
画面左には、森永製菓の増設工事のクレーンも写っている。
さて横長の効果はあるかな?
2012_5_19 高崎操車場わきで撮影。
2012年5月17日木曜日
龍ヶ森ゆきの3つの切符
「龍ヶ森ゆきの3つの切符」。
日付は、44_1_6 44_1_17 43_9_20 の3種。
これ以外にも何度も行っているが、切符が残っているのは面白い(^^・
43とは、昭和43年で1968年。「ヨンサントウ」のダイヤ改正の年だ。
東北本線の盛岡以北の電化完成で、東北本線から「煙」が消えた年。
花輪線との組み合わせで、夜行車中2泊3日の日程だった。
44年は、1月6日と17日の2回も行っている。
この一枚は、1968_9_21 撮影のハチロクのプッシュプル。
今でも、ハチロクのバッバッッバッという喘ぎが聞こえるようだ。
2012年5月16日水曜日
台湾のC12 CK124
JR北海道釧路支社は「SL姉妹提携」を記念して、6月6日(水)から「台湾鉄道研修ツアー」を企画・実施するそうです。
このツアーの詳細を見ると、CK124牽引の列車に乗車したり、彰化機関区などを訪問するようです。
そこで、一足先に今年2012_3_8から5日間、台湾を訪問した際の一枚を紹介します。
CK124が検修施設、彰化機関区で休んでいるものです。
日本のC12と同じですが、カウキャッチャーやデフが取り付けられている点が台湾流。
2012_3_10 撮影。
2012年5月15日火曜日
D51三重連 沼宮内に到着
東北本線の沼宮内。
十三本木峠を制覇してきたD51三重連貨物が沼宮内に到着。
ここで前補機が開放されるか、盛岡まで三重連のまま運転
される。
ハーフ判のカラーなので画質がいまひとつだ。
1968_4_1 撮影。この年の秋には「ヨンサントウ」のダイヤ改正が控えていた。
2012年5月14日月曜日
貴重なDD51重連急行
1967_5_14 は、今からちょうど45年前。
ここ盛岡の先の滝沢周辺は、リンゴの花が満開。
ここはとは東北本線長根信号所と滝沢の間の築堤下。
こんないいところがあったのだ。
列車の編成から、特急「ゆうづる」の後発、急行「第二十和田」青森行きだろう。
DD51重連の写真は少ないので、貴重なコマだ。
かわいいウサギのイラスト 上信電鉄の編成写真
上信電鉄の電車の編成写真。
1時間半ほどの時間に、3本を撮影。
これはそのうちの一枚。
「ヨコオデイリーフーズ号」。
群馬県は全国一のこんにゃく産地。
富岡にあるこんにゃく製品メーカーが、このヨコオ。
編成は、デハ252+クハ1301。
正面のウサギのイラストが可愛い(^^・
運転台は、上信電鉄特有の右側だ。
2012_5_14 いつもの根小屋-南高崎間で撮影。
2012年5月13日日曜日
C622号機の「つばめ」の切り抜き
高校から大学にかけては、鉄(道)に関することでいっぱいだった。
夏の1ヶ月。軽井沢駅でアルバイトをしたことがある。
24時間勤務で、1980円の日当だったと覚えている。
高崎から軽井沢間は、碓氷峠を越えて通勤。
それ以外、鉄を求めて北海道には春夏秋冬と8回ほど行っている。
そんな北海道での一枚。
1967_7_17 函館駅のホームで撮影。
1217レ札幌行き「たるまえ」をけん引するC62の2号機の「つばめ」の切り抜き。
ホームを照らす明かりに反射している。
左に見える客車は、後発の釧路行きだ。
このどちらにも何回も乗車したことがある。
2012年5月11日金曜日
キハ56系急行のすれ違い
今日は一日中「スキャナー」作業。
カラースライド(リバーサル)フィルムが見つかったのです。
仕上げが、B4サイズと大きいので意外と時間がかかった。
でもほとんどがハーフサイズなので、画質はいまひとつ不満。
その中の一枚がコレ。1967_7_17 撮影のもの。
函館本線の仁山・大沼間でのもので、キハ56系の急行がすれ違ったところだ。
2012年5月10日木曜日
木次線備後落合のC56
大学の鉄研は、青春のときめきを与えてくれた(^^・。
いまも先輩や同期生との親交がある。
この夏の合宿は宮津線、倉吉線、木次線などが調査対象だった。
その合宿も終わりのころ、木次線の備後落合で撮影したC56。
一こましか撮っていないが、それも逆光のなかの一枚だ。
このあと、広島でC62を撮影している。
残念なのは、呉線に立ち寄らなかったこと。
いまだに、悔やんでいる。
1966_8_25 撮影。
2012年5月9日水曜日
ロクサン重連 まもなく横川到着
長野オリンピックを1年後に控えた 1996_5。
横川通いが進行中であった。
でも、いまだに満足していない。
もっと撮っておけば・・・と
この一枚、ロクサンが軽井沢から「あさま」をエスコート。
まもなく横川到着だ。
信越本線横川のホームで撮影。
新車の輝きを放つ EF60103号
また、高崎第二機関区関連。
このネガフィルムは、半端なもの。
そのせいで、本来のネガケースに入っていない。
結局、撮影年月日のメモがない。
他の写真集などから推測すると、EF60103は、104、126、127の4両とともに、1964年9月から高崎第二機関区に配置が始まったようだ。
この写真を見ると、ぴかぴかのボディに「新車の輝き」が見られる。
そんなわけで、撮影日は1964_9 以降ということになる。
高崎第二機関区40周年メダル
コレクションを紹介。
1985年3月発行の「高崎第二機関区40周年 さよならEF15」。
もう1面は、「EF15165のレリーフ」。
直径37ミリ。
どのようにして入手したのかは、記憶にないが、EF15の配置がなくなったのを記念してメダルを作成したのだろう。
歴史を調べると、1945年2月1日、高崎機関区を高崎第一機関区と改称し、高崎機関区高崎操車場支区を廃止、高崎第二機関区が新設された、とのこと。
私のこの趣味を育ててくれたのも、この機関区かも。
下は1967_1_7 撮影のEF15122。自宅近くの踏み切り付近で撮影している。
「あけぼの」をアウトカーブで
早起きが出来た2012_5_9 。
5時20分ごろの「あけぼの」の通過を撮影。
うす曇ながらも、清清しい朝だった。
ここは、構図的には気に入っている。
アウトカーブで、後尾の車両も写し込めるからだ。
高崎-倉賀野間で撮影。
2012年5月6日日曜日
上信電鉄「999号」
真四角の写真を時々アップしている。
3対2で撮影したものを、1対1にトリミング。
ここ撮影地は相当薄暗い感じ。
そこで、流し撮りで一鉄。
「999号」のメーテルがいい感じに。
なぜか、この「999号」を撮りたくて沿線に来ている。
2012_5_6 高崎商科大学前付近で撮影。
そう、今朝、東京北区からクルマで帰ってきたのだが、1時間40分で家に着いた。
関越高速は、ほとんど時速100キロで走ってきたし、「アクア」の燃費レベルメーターは、リッター30キロ前後を示していた。
とすると、100キロを走るのに、3リッターちょっとしか
使わなかったわけ?リッター150円だったら、500円ちょっとのガゾリン代ですんだことになる・・・。これって本当なの?
「電車10000両に達す」の並び写真
「電車10000両に達す」との小冊子がある。
発行は日本国有鉄道、発行年は1967年4月。
印刷もいい。
このころのパンフなどのコレクションは、結構残っているが、これは今となっては「貴重」だね。
裏表紙は、103系電車。他の鉄道管理局のパンフでは、合成が多い中、
これだけの車両を一同によくそろえたものだ。
「へっ」これは、色を置き換えた合成写真?
そんなことはないと思うけど・・・。
下の一枚は2004_12_11の高崎機関区で開催された「機関車大集合」。EF65の並びだ。
線路端の花と上信電車
線路端の花。
主題がこの花なので、ピントは花にあわせた。
撮影の仕方は、ズームレンズは望遠で、絞りは開放。
ピントは一旦自動であわせ、マニュアルにして列車の通過を待つやり方。
上信電鉄は、いろいろな形や塗装の電車があるので、今度はどんなのが来るのかが楽しみ。
最近、ゼブラ電車にはお目にかからないが・・・。
以前の事故の修理でもやっているのかな?
2012_5_6 今日でG,Wは最終日。高崎商科大学前-山名間で撮影。
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