2014年12月31日水曜日

あしたも「いい天気」 651系

1967年撮影のフィルムのスキャンばかりを続けていました。
でも、今日は2014_12_31 。
けじめとして、夕方いつもの高崎操車場へ出かけました。
ちょうど651系の「草津」がやってきました。
夕日ももうすぐ、沈むところ。
あしたも「いい天気」になるでしょう。

2014年12月30日火曜日

滝沢の築堤のC61

1967_8_6 は、東北本線の滝沢の築堤で撮影。
C61けん引のローカル列車が滝沢駅に向かっている。
画面手前には、トウモロコシ畑やリンゴ畑が広がっていた。

2014年12月29日月曜日

交直接続のD50

1967_8_24 は、北陸本線交直切り替えの米原-田村間へ・・・。
貨物と客車列車は、D50が交直接続の任務を担っていた。
D50はバック運転だった。
半日ほどの撮影だったが、後になってみると貴重な記録になった。

2014年12月28日日曜日

磐越東線のD60に引っぱられて

1967_9_10 は、磐越東線へ。
平~江田信号場への途中で撮影した一枚。
けん引機は、D6056号機。
D50は、高崎でも見られたが、D60となるとここまで来ないと見られなかった。
9月も初旬なので、窓は開放状態ですね。

2014年12月27日土曜日

高崎の空 2とC6249

2014_12_27の高崎の空。
コントレールが三本。
一枚しか撮れなかったので、比較はできないが、このコマの機影が不明確なのが残念。

もう一枚は、1967_9_29の平機関区。
C6249だから、最終製造番号。
この夜の発車で、蒸機の牽く常磐線の夜行列車は過去帳に入った。
この日、この夜から翌朝まで、平ですごした青春の日々だった。




2014年12月25日木曜日

冬至の太陽の光を受けた!

以前にもアップしたことのある構図。
233系が築堤を通過する。
背景右から太陽がギラリ。
進行方向の線路を長く配置した構図。
冬至の日の太陽の光を受けた!
2014_12_22 新町-倉賀野間

2014年12月23日火曜日

高崎上空 1

高崎上空。
ジェット機の音。
SONYのα100 300mmを取り出し連写。
トリミングしたのがコレ。
旅客機だが、型番、エアラインは不明。
東から西南に通過していきました。
2014_12_23 15時22分撮影。

「佐野のわたし」駅開業で、デキによる特別列車運転

2014_12_22 に開業したのが「佐野のわたし」駅。
上信電鉄上信線の南高崎と根小屋間。
烏川橋梁の東詰めに出来た。
この一枚、運転士への花束贈呈中で、ホーム上の人々はみなそちらを向いている。
このあと、地元小中学生を乗せ、
地元市長の発車合図で高崎に向かって発車していった。
デキ重連の運行は久しぶり。

2014年12月19日金曜日

トワイライト

2014_12_19 上信電鉄のお立ち台。
烏川橋梁。
時刻は、16時45分過ぎ。
トワイライトねらいの一枚。
シマウマ電車が高崎をめざす。
右奥の灯りは、22日に開業する「佐野のわたし」駅。
試験点灯中。


2014年12月18日木曜日

「佐野のわたし」駅22日に開業

上信電鉄に新しい駅が開業する。
南高崎-根小屋間の「佐野のわたし」駅。
運賃は、高崎駅まで180円、所要約6分。
2014_12_22 午前10時から開業式があるようだ。
2014_12_18 撮影のこの一枚。
クモハ7001が開業予定の新駅を通過する。
このクモハ、前位パンタが外されているが、どうしてなのか?
なお、この駅の入場門(画面左)には、「渡し船」がのっている。


2014年12月17日水曜日

こんな構図で撮っていた

1968年、昭和43年のフィルムのスキャナーを続けている。
この一枚、自宅の西南を写したもの。
高崎操車場の入れ替え機、キュウロク。
この構図、手前を大きくぼかす手法だが、
すでに、46年も前の20歳台のときのもの。
この光景に代わって、今はEH200やEH500が通過している・・・。
(2014_12_17 のアップ写真)

2014年12月15日月曜日

野辺地でC61 29

1968_7_11 は、東北本線の千曳-乙供間へ。
この線区は、電化時には路線が変更されることから、電化用ポールは建たなかった。
ここでの撮影後、北海道に向かう際、立ち寄ったのが野辺地。
C6129が発車を待っていた。

2014年12月14日日曜日

「雪見だいふく」号の出発式

2014_12_14 は、上信電鉄の高崎駅ゼロ番線へ。
「雪見だいふく」号の出発式を撮影してきました。
2両編成で、下仁田方からクモハ501+クモハ502。
正面には、「雪見だいふく」の大きなシールが、
側面にはラッピングされた大きな「だい「ふく」」の文字が描かれていました。
なお、お土産として、「雪見だいふく」をいただきました。
写真は、出発式のテープカット後、記念写真を撮ってもらっている子どもたち。

2014年12月13日土曜日

ドクターヘリ JA6917

2014_12_13 は、高前幹線の一部区間、700㍍が開通した。
午前11時過ぎに、テープカットがおこなわれた。
そんなこんなで、カメラを構えていた間、上空に一機のヘリ。
ドクターヘリだった。
方向からは、迎えのヘリだろう。



2014年12月12日金曜日

長万部機関区で折り返しのC62 3を撮った

1968_7_15 は、函館本線の長万部。
C62重連を撮影に・・・。
長万部は、補機の折り返し点。
この機関区で整備をしたのち、下りの「ニセコ」の前補機となり、
函館から来たC62と小樽まで重連となった。
この一枚は、その長万部機関区でのもの。



2014年12月11日木曜日

最終のディーゼル特急「はつかり」上野到着

1968_9_9 には、上野駅。
この日、80系の「はつかり」が最終日を迎えたのだった。
「よんさんとう」のダイヤ改正を控えたこの年、
早々と「はつかり」は、581系に変わった。
いまなら、大変な人出だろうが、当時はこのような感じに撮れた。
人出も少なく、撮影も容易であった。
右隣の6番線には、上越線の165系急行が発車を待っていた。
46年前の一枚。

2014年12月10日水曜日

C60 1 盛岡機関区で魅了

1968_9_21 は、盛岡機関区へ。
前日の20日に上野を夜行で発ち、深夜盛岡に到着。
朝の一番で、花輪線の竜ケ森へ・・・
そして、この21日の夕方、盛岡を発ち、上野へ戻った。 
上野には、22日の早朝到着。
この一枚、C601号機。近くで撮影すると、圧倒される迫力だった。
この秋のダイヤ改正で消えるカマだ。


 

2014年12月9日火曜日

C58400のお別れ会

2014_12_9 のきょうもスキャン。
オリンパスペンで撮ったハーフ判なので手間が倍以上かかった。
この一枚、1968_9_29 小山機関区で開催された
「C58400のお別れ会」。
「鉄道友の会」と「高崎鉄道管理局」の主催だったか・・・。
翌、9月30日限りで両毛線から煙が消えた日だった。

2014年12月8日月曜日

高一の庫で撮ったC58102

フィルムのスキャンをやり直している。
でも、相当な時間がかかる。
一日やっても、数本しかできない。
でも、いままで忘れていたカットを発見したときは、
至福の時を得た感じだ。
1968_10_19 撮影のC58102。高崎第一機関区の庫内での撮影。
このカマはその後どうなったのだろうか?

「北とぴあ」でE7系

2014_12_6 は、東京へ。
ここは、東京北区の「北とぴあ」17階の展望ホール。
長野新幹線のE7系が下って行きました。
いつ行っても、誰かが撮影している場所。
他の人は、望遠系で撮る人が多いようですが・・・
私は望遠でなく、広角で何枚か撮影。
次々に下ってくるので、撮影効率のいい「お立ち台」ですね。


2014年12月5日金曜日

足尾線の重連

フィルムで撮影したネガのデジタル化のやり直しをやり始めました。
今までのは、出力サイズが小さめでした。
そこで、印刷原稿に合うように大きめにスキャンするのです。
この一枚、1969_2_11の足尾線の重連。
C12とC50が桐生から大間々まで重連を組んで片道だけ走っていたのです。
大間々からの帰りのため、C50は逆向きでした。
撮影地は、相老ー大間々間。

2014年12月2日火曜日

三重連に期待!

1995_1_3 は、高崎駅。
D51とC58の重連の列車を撮影。
こういった重連でけん引する列車をまた走らせてほしいな。
さらに、C61+D51+C58または、C57の三重連なら、「感涙もの」だ。