2017年12月31日日曜日

EH500 なんと5輌も集結しました

2017_12_31 は、高崎機関区恒例の「年末のEH500の集結」です。
普段は、1輌しかここにはいませんが、今日はなんと5輌ものEH500が・・。
壮観です。
この光景は、今日明日だけで、年始になるとまた散っていくでしょうが。
・・・・このブログアップ、年末は少しサボったことをお詫びします。

2017年12月30日土曜日

2005年正月の一枚

2005_1_9 高崎駅。
D51498が高崎駅を発車する。
冬のせいか、煙(蒸気)がいい感じだ。
このころは、今とは撮影位置が違っていたようで、少し「上からの目線」になっている。
いよいよ、2017年も明日1日限り。
明後日には、「70」の大台に突入する歳になる。



2017年12月28日木曜日

115系安中到着

2017_12_23 は、安中へ「SL YOGISHA碓氷」を撮影に・・・。
夜間の撮影はムズカシかった。
この一枚は、その前のもの。
115系の下りが安中駅に到着する。
撮影データは、ISO12800で1/80、f2.8でした。
本番のSLの撮影は、「70点ぐらい」の出来なので、今回はアップしませんでした。
お見せできる気分?になったら、アップしたいと思います。




2017年12月22日金曜日

インスタ映え

2017_12_21と22の2日間、D51498の試運転を撮影。
いつものパターンですが、まず汽笛が聞こえましたので、駅へ。
やっぱりいました。
22日は、汽笛を聞き洩らしましたが、試運転はある、との確信から駅へ。
いました。21日と同じ編成でした。
これ、21日の撮影で、「インスタ映え」の する一枚になりました?
▼高崎駅を発車するD51498と12系4連、最後尾にはDD51888が付いています。


2017年12月19日火曜日

群馬県コンベンション施設

2017_12_19 は、高崎競馬場跡地に・・・。
12月28日には、立ち入り禁止になるとの情報があり、
ぜひその前に一枚を、ということで出かけました。
ココには、県がコンベンション施設を計画し、1月には工事がはじまるとのことなのです。
建設には2年ほどの期間がかかり、その前の準備のひとつとして、発掘作業も大勢でおこなっていました。
▼敷地の南から北方向をながめたもの。遠くに赤城山が見えます。ここに4階建の展示施設ができるようです。


2017年12月15日金曜日

上信150形

2017_12_15 は、「わたしの尾瀬」の写真展を見に行きました。
さすが、金賞銀賞銅賞の作品は、私の写真レベルを超えていました。
その帰路 、上信電鉄の佐野のわたし駅付近に立ち寄り一鉄したのがコレ。
上信150形第二編成、クモハ153とクモハ154。
他の編成もそうでしたが、この編成のパンタグラフも両方と上がっていました。
1968年製だそうですから、49年たっていますので、JRから購入した107系に交代されるかもしれません。




2017年12月12日火曜日

165系信越急行

ここ、数日間2018年1月中旬から利用開始される、2017年度第三回JR東日本地区「大人の休日倶楽部」パス4日間の旅行先を検討した結果、
ようやく案ができました。
・冬の奥入瀬渓谷トレッキング
・みちのく潮風トレイル~南部もぐりの里コース
・八甲田山の樹氷と酸ヶ湯温泉
そして、荒天の際の代替案・・・・。

久しぶりのアップ▼
 1965_12 撮影の165系信越本線の急行。
このころは協調運転はまだできず、8両編成で、「横軽対策」のため車重の軽い車両(クハ、サロ)を下り方に組成しているのがわかります。
(群馬八幡~安中間)
 撮影地のここは、今では「SL碓氷」の撮影のお立ち台となっています。

2017年12月6日水曜日

碓氷線に愛着

横川~軽井沢間の碓氷線には愛着があり、今も「アプトの道」のボランティアガイドをしている。
12月はシーズンオフなので通うことはないが、春になったらまた出かける予定だ。
この一枚、1996年秋の撮影なので、撮影の一年後には碓氷線は廃止になっている。
▼この写真は、「再掲」だが、フレームをはみ出しているお気に入りの一枚。
「あさま」を牽引しているEF63の24号機は、脱線転落事故で廃車になったカマの追加で製造されたもの。
いまでも、ロクサンのブロアー音が聞こえてくるようだ。


2017年12月5日火曜日

都電が銀座から消えた日

毎年この12月にアップするシーンは、「都電が銀座から消えた日」の一枚。
1967_12_9 撮影の都電。
ちょうど50年前のことですね。
鉄道ファンとして、このシーンに立ち会えてよかったと思います。
今思えば、もっともっと撮っておけばよかった・・・・。
車に囲まれている都電ですね。


2017年12月4日月曜日

碓氷新線を登るEF62

1966_12_22 ごろの撮影。
碓氷新線をEF62がやってきた。
このときは、この構図で3コマ撮影している。
コレはそのうちの1コマ目。
横川をでた旅客列車が25パーミルにかかっている。
間もなく、旧丸山変電所に差し掛かるところだ。
それにしても、こんな近くに「鉄ネタ」があったのですね。

2017年12月2日土曜日

フォトコン入賞

2017_12_2 は、八ッ場ダム関連のフォトコンの表彰式へ。
「湯、翔ける(ゆ、かける)」という作品が入賞したためです。
2018年の「まぶたを焦がすあなたのふるさとフォトコンテスト」のカレンダーの隅に、小さく紹介されていました。今回のコンテストでは、協賛団体提供の副賞はなく、賞状とこのカレンダーだけをもらいました。
▼この一枚、今日の八ッ場ダム工事現場です。事務所長さんのはなしによると、4割ほどコンクリートの打設が進んでいるそうで、完成は平成31年度末とのことでした。

2017年11月30日木曜日

クハ86湘南電車

1963_11_23 撮影の80系湘南電車。
先頭車クハ86形。
正面の二枚大窓のスタイルは、その後の電車の先駆けになった。
それまでは、三枚窓だったのです。
今の高崎機関区付近の高崎線を通過しているのだろう。

2017年11月28日火曜日

東武鉄道高崎線あと

2017_11_28 は、「長野堰の主要施設を訪ねる」講座に参加。
その途中、案内されたのが、この軌道あと。
高崎から渋川まで、昭和28年まで走っていた東武鉄道高崎線のチンチン電車が
長野堰を渡り、この道を通っていたとのことでした。
白いビニールひもは、電車の大きさを表しているんだとか。

2017年11月26日日曜日

211系と651系の並び

2017_11_25 は、東京千駄木で忘年会。
「鉄分」に溢れるお店でひとときを過ごしました。
ここへ行く前、高崎駅ホームで撮った一枚。
「今日の一枚」といった趣旨で撮りました。
右は、高崎地区に広がった211系、左は651系上野行き「草津」号。
この光景、しばらくは続きそうです。



2017年11月21日火曜日

旧吾妻線あとを歩いて、ダム見学へ

2017_11_13は、「八ッ場ダム」の「やんば紅葉狩りツアー」に参加。
この一枚、旧吾妻線のあとを歩いて、堤体を見渡せるところまで行きました。
2014年秋までは、ここを電車が走っていたのです。
2019年度(平成31年度)には、ダムは完成とのこと。
*

そうそう、「Rail Magazine」の1月号、№412号が発売になりました。
前号に次いで、この号にも私の投稿写真が掲載されています。
ネガを提供してのものなので、貴重な1枚だと思います。

2017年11月19日日曜日

また八ッ場での一枚

2007_11_17 には、吾妻線の川原湯温泉~岩島間を撮影に行っていた。
川原湯温泉東の吾妻川橋梁に差し掛かる115系電車。
2017_11_現在のココの橋梁には、「ベルトコンベア」が敷設され、骨材が搬送中だ。
撮影からちょうど10年たったのですね。
建設中の「八ッ場ダム」のコンクリートの打設も4割ほど進み、平成31年度にはダムは完成するようです。





2017年11月10日金曜日

10年前の八ッ場(やんば)

吾妻線の八ッ場地区に強い思い入れがある。
これは、その思い入れの一枚。
2007_11_17 、「小蓬莱(見晴らし台)」から115系3連を撮ったもの。
ちょうど10年前。
今ではこの見晴らし台からの眺めは、木々に隠れ、
その木々の間から見えるのが、「八ッ場ダム」の建設現場。
2017_11_7撮影▲
2007_11_17撮影▼。川原湯温泉駅に入線する115系の姿はもう見られない・・・。




2017年11月9日木曜日

廃車車体ED42とEF53

1963_11_23撮影だから、右に写っているED42は、この年の秋には「廃車」になったもの。
ナンバープレートははずされ、車輪に付いていたロッドも外されている。
左は、EF53だが、このころは「休車」状態だろうか。
ちなみに、ここの線路は休車や廃車予定の車がしばしば留置されているのは、
2017年の今も同じ。

2017年11月7日火曜日

樽沢トンネル

2017_11_7は、吾妻へ。
まず、吾妻渓谷の十二沢パーキングに駐車。
それから、吾妻川の右岸の遊歩道で小蓬莱(見晴らし台)へ。
ここでは、八ツ場ダムを下流側から俯瞰。
といっても、ダムの堤体は3割ほどコンクリートが打ちあがっていた。
帰りには、鹿飛び橋を渡り、この写真の場所へ。
2014年秋までこの吾妻線は、電車が通っていた場所。
今では、線路は新線に移って、この線は用途廃止になっている。
今でも、電車が来るような雰囲気を保っている。
ここは、「樽沢トンネル」。
日本一短いトンネルだった。


2017年11月6日月曜日

碓氷線廃止後の横川

1997_10ごろの撮影。
横川~軽井沢間の碓氷線がこの年の9月末で廃止された。
この一枚、1か月後の10月に横川を訪問。
地上の入れ替え信号機には×が付けられている。
右には、準鉄道記念物のED421の姿も見える。
このころは、手前のレールの錆も目立たっていない。
画面の中央奥には、鉄道文化むらが現在はできている。
この文化むらも、入場人員が減っているようで、運営のための募金もおこなわれると聞く。

2017年11月3日金曜日

一ノ倉沢

2017_11_3 は、谷川岳の一ノ倉沢の紅葉と岩壁撮影に。
午前3時30分起床でしたが、現地到着5時30分を過ぎていたので、朝日の差し込むシーンは撮れませんでした。
この一ノ倉沢の歩道沿いの岩にいくつものプレートが留まっていました。
この岩壁で遭難した若者の死を悼んだもので、ほとんどが昭和の後半、40年代のように見受けられました。
帰路、遺影らしき写真の額を持った方にすれ違いました。
また、車での帰り、上越線の踏切を横断。
時間があれば、ここで列車の写真を撮りたい!と・・・。

2017年10月31日火曜日

地元の踏切

今日で10月は、おしまい。
明日から11月、そして12月へと・・・。
1965_12 撮影の一枚は、地元の一枚。
高崎操車場を発車したC58牽引の貨物列車がやってきた。
撮影地のココは、「踏切」まちの場所。
この踏切は、のち陸橋の設置によって廃止されている。
こんな光景があったとは、信じがたいが、小学校通学以来、ずっとこの左の踏切を渡っていた。
この下り踏切は、「踏切警手」が常駐して、そろばん塾帰りによく立ち寄っていた。
その後、自動化され無人化されたが、上りの踏切は高崎操車場のハンプへの押し上げのため、結構あとまで存続していた。


2017年10月29日日曜日

高崎学検定

第五回高崎学検定を昨日(2017_10_28)、受検。
自己採点をすると、100問出題された内、72問正解で72点でした。
鉄道関係の出題は7問出まして、6問正解、1問が誤答でした。

その誤答してしまった問題とは・・・

高崎市内を通った路線の建設順として、正しいのはどれか?
①信越本線→上信電鉄→上越線→八高線
②上越線→信越本線→八高線→上信電鉄
③八高線→上信電鉄→信越本線→上越線
④上信電鉄→八高線→信越本線→上越線

いずれも戦前、1945年以前だとは分かっていたのですが、
とくに上信電鉄は軽便で開通し、けっこう古いと思っていましたし、信越本線も横川までは古いはず。比較的新しいのは上越線で、八高線はいつだか、見当が付きませんでした。

受検後、よく考えてみれば、これだけの知識であれば、①に○を付ければ正解だったのに、
④に○を付けてしまいました。
④は八高線が信越本線より古いなんておかしいはずでした。

 2005_11 高崎駅を発車したD51498。このころのD51の前照灯には、「ひさし」が付いていたのですね。


2017年10月28日土曜日

横川での一枚

わが撮り鉄人生において、横川での撮影は、大きな位置を占める。
これは、横川ならでの補機の連結風景で、EF63が165系急行「志賀」に連結されるところ。
この当時、長野・直江津方面の急行には、ヘッドマークが付いていた。
この画面で、その姿が少しであるがわかる。
この165系は、のちにロクサンと協調運転でき、碓氷線通過可能の169系となった。
1967_3 撮影。

2017年10月24日火曜日

「あさま」横川発車

1997_9_28 撮影。

EF63重連が「あさま」を押し上げる。
9月30日には、この碓氷線は用途廃止になった。
あれから20年を経過した。
1963年秋のアプト廃止から、碓氷新線開通の時から通ったので、この路線の思い入れも多い。


2017年10月20日金曜日

C61 20本線試運転

2017_10_20は、雨。
それでも、「汽笛が聞こえた」ので、いつものお立ち台へ出かけました。
停まっていました。C6120とオヤ121そしてDD51824の編成でした。
発車時刻は、いつもの「みなかみ」と同じ、9時56分。
雨なので、煙の出具合も上々。
3両編成なので、構図も決めやすい状況でした。
行く先は、水上でなく渋川あたりで折り返しかも?
そうそう、RM(Rail Magazine)411号が明日発売になりますが、
写真を投稿したので、見本本が今日届きました。
今号は、「鉄路の要衝・高崎」です。




2017年10月19日木曜日

撮影データ不明画像 1

撮影データ不明画像 1
ネガケースからはみ出した一枚の写真。

撮影日、場所、列車名などが不明なのです。
1 ホームは4番線。
2 EF60 61の電機。
3 左には、交直流の485系?特急電車で新車の雰囲気がある?
4 ホームの時計は7時50分。

謎解きできるかな?
4番線のホームは、「大阪駅」にあるが、1967年4月の時刻表では、時間帯に合う列車が見つからない。
EF60は、主に東海道、山陽本線で活躍していた。
季節は、服装から冬。
名古屋駅か京都駅も候補だ。
上野駅や東京駅ではない。

2017年10月16日月曜日

奥中山を下るD51+C60重連の130レ

1967_3_28は、春休みなので、東北本線の奥中山へ。
撮影地は、吉谷地のカーブ。
奥中山駅から盛岡方向に徒歩30分ぐらいだったか?
来るは来るは、次々に列車がやって来ました。
次年の「ヨンサントウ」電化に備えて、架線や架線柱が立ち始めていましたが、
ねらいは、下り列車、つまりSLにとっては登りの苦難の坂道。
下り列車で2本の「D51三重連」が撮影できました。
他は、この一枚のような「重連」の列車。
一部を除いて「重連」または、「三重連」だから、「重連」はめずらしくない状況でした。
しかも、坂を下る列車は、被写体にはならず、結構、「PASS」していたのです。
ぜいたくな話です。

「奥中山を下るD51+C60重連の130レ」▲。
 この130レは、なんと青森発上野行でした。

2017年10月12日木曜日

107系R15・R16編成譲渡回送される

107系が上信電鉄に譲渡回送されるだろう・・・と予想して、アリーナ北へ。
少し待っていると・・・。
やって来ましたDE10に牽かれた107系R15編成とR16編成の4両。
このあと、上信線に転線して上信の車両基地に収まりました。
譲渡されたのは、これで12両なので、これで全部。
このあとの話題は、いままでの上信電鉄のどんな車両が廃車(置き換え)になるかということ。
12両もの置き換えが発生するわけですから、上信の在籍車の半分にあたる計算になります。


2017年10月10日火曜日

黒磯駅で撮った貴重な一枚

1963_8 初旬。
東北本線の黒磯へ・・・。
ここは、交直の接点の駅なので、「交流機関車」が見られるとのことでした。
ただ、他の交直の接点と違って、構内の電気を切り替える方式。
そこで、2017_10_14 には、交直接点をもう少し、北方に持って行って、交直切り替えをする方式に変えるそうです。
そうすると、この写真のような「交流機関車」は、黒磯駅には乗り入れられなくなります。
つまり、この一枚の写真は、とても「貴重な一枚」になったのです。→再掲写真です。


新駅予定地付近で・・・

2017_10_10は、「旧客」回送を撮りに高崎操車場脇へ。
夏の暑さを思い起こすほどの午後3時40分過ぎ。
やって来ました。
EF64 1053に牽引された旧客。
今日アップするのは、「後追い」の一枚。
この場所は、「新駅」の予定地付近ですが、まだ、何の変化もありません。
でも、線路の北側では、道路工事が始まっていますが、駅新設とは関係なさそうです。


2017年10月7日土曜日

駅での「撮影に関してのお願い」

2017_10_7 は、107系がJR線から消える日。
高崎駅のホーム端で見かけた「撮影に関してのお願い」。
駅は、乗客さんが利用する公共の施設ですから、
撮影はここに書かれた注意を守っていきたいですね。


2017年10月5日木曜日

高崎駅西口の変化(2) 変貌している高崎市

2017_10_5 は、高崎駅西口周辺の変化を記録に出かけました。
この一枚は、ペデストリアンデッキに囲まれた「OPA」をねらいました。
間もなく開店です。
今日の段階は、「OPA]へ通ずるデッキや道路は、まだ工事中でした。
いろいろな角度から、この辺を眺めて見ると、けっこう「狭さ」を感じました。
デッキの陰で、空が見えにくくなったせいかもしれません。
それにしても、大きく変貌している高崎市の今を見てきました。



2017年10月4日水曜日

高崎駅西口の変化

1995_1_3 は、高崎駅北のお立ち台へ・・・。
22年前の高崎駅の西口周辺の一部を見ることができる。
正面のビルは「高崎ターミナルホテル」。
その右は、「SATY」ビル。
そして右端には、「高崎高島屋」が・・・。
2017年の秋、「SATY」の場所に「オーパ」が開店するし、高島屋まで、ペデストリアンデッキが駅からつながる。
そして、この写真の「107系が定期運用を9月末で終了」。


115系6連

2017_10_3 、上信へ移った107系を撮りに高崎駅西口付近へ・・・。
撮影後、帰りかけたとき、115系が駅方向に向かったのを見かけ、急いで駅北のお立ち台に移動。
115系の定期は、この時間はないはずなのにおかしいと思いました。
結局、「回送」と判明。
しばらく待機した後、上越線方向に静かに発車して行きました。
115系3両×2編成の6連でした。

2017年10月2日月曜日

1963年撮影の上信 デハ301?

1963_11_23 のころの撮影。
撮影地は(上州)一ノ宮、デハ301とネガケースには記入がある。
勤労感謝の日なので、上信の一ノ宮に行ったのだろうか?
でも、鉄分の撮影コマは、2コマばかりだ。
電車は、「デハ301」?で、
しかも、デハの運転台は「右」。
撮り鉄の一枚に加わった、貴重な一コマだ。

2017年10月1日日曜日

107系専用臨時運転

2017_10_1は、「ありがとう107系」の上越線水上からの復路を撮影に高崎駅へ。
ホームは、タイガーロープで規制がありました。
右が16時21分に到着した107系4連。
左は、211系。
この「ありがとう107系」は、 10月7日にも走ります。





2017年9月29日金曜日

ゼロ系新幹線

東海道新幹線が開通してから、3か月後。
1965_1_2 東京駅に撮影に行った。
今では、博物館でしか見られないゼロ系が最初の新幹線車両。


なお、東京~新大阪間を超特急「ひかり」は4時間、特急「こだま」は5時間かかっていた。
このころは、ハーフ判ばかりの撮影だったので、スキャンには、2倍以上の手間がかかった。

2017年9月28日木曜日

秩父鉄道 デキ102

1963_7_14には、秩父鉄道に行っている。
といっても、熊谷だけだった。
車両基地で撮ったのが100形の「デキ102」。
この形の電機は、いまだに走っているようなので、頼もしいかぎりだ。
撮影時から53年も経っている。



2017年9月25日月曜日

団臨走る 2

昨日2017_9_24の「水上白門号」に乗車したので、走行写真は撮れずじまいだったのですが・・・。
熊谷からすぐ折り返して、返却回送を撮ることにしました。
場所は、高崎操車場南のお立ち台。
17時20分前後に通過するとみて、撮ったのがコレ。
陽が弱くなっていましたが、どうにか撮れました。
もっとも、ヘッドマークの無いこの編成は、いままでも何回か撮っていますが・・・。
そうそう、水上でこんなのを撮りました。
D51745が転車台広場に置かれていますが、ペンキの塗装が終わったようです。


2017年9月24日日曜日

団臨走る

貸切団臨の「水上白門号」が運転され、乗客として参加し、熊谷~水上を一往復しました(実際は、集合解散地の熊谷まで、倉賀野~熊谷間をさらに一往復していますが)。
列車の編成は、水上方からEF6019+12系客車+EF65501のPP編成でした。
途中渋川では停車時間を利用した、撮影会があり、ヘッドマークのレプリカが設置されました。
この一枚のヘッドマークは、「銀河」や「はくつる」をイメージしたデザインとのことでした。

2017年9月23日土曜日

DD51 勢ぞろい

2017_9_23 は、「高崎鉄道ふれあいデー」。
注目は、車輛展示コーナー。
4両のDD51がそろった。

左から897(日本海)、842、895(出雲)、888(カートレイン)で鉄道博物館から借りたらしい?ヘッドマークが掲出されていた。

他の展示車両は、D51498、DE101571の他、茶色のDE101705 だった。

2017年9月22日金曜日

京王5000系

京王電鉄の新車、5000系に試乗した。
試乗は、若葉台検車区に納車された第一編成。
写真は新宿方10号車のクハ5731。
フロント面の傾斜が大きいシャープな顔立ちだ。
この電車の一番の特徴は、シート。
クロスシートとロングシートの転換ができ、
座席指定列車以外でも運用ができるというすぐれもの。
今月末には、通常の列車としてデビューするとのことだ。
2017_9_22。

2017年9月21日木曜日

Oゲージ


1963年4月ごろ。
 Oゲージモデル?

2両の客車は工作紙で作った自作。
台車は、電車用だ。
技術的には、未熟そのもの。
牽引しているDB? は、購入したものだが、現物は今はない。



2017年9月20日水曜日

EF15

1965_9ごろ 撮影。
このころしばしばここまで撮影に行った。
ココは高崎線倉賀野~新町間の17号跨線橋近く。
松の陰からEF15の貨物列車が通過する。

2017年9月19日火曜日

縦構図で113系を

1965_8_23 は、大船に撮影に出かけた。
52年前。
ハーフ判カメラなので、縦構図が多かったが、これもそう。
当時の近郊型の主力113系を撮った。
当時の鉄道趣味誌は、「鉄道ピクトリアル」と「鉄道ファン」だったが、価格が高く毎号は買えなかった。その雑誌の撮影地を参考にここにやってきたのですが・・・。

2017年9月18日月曜日

修学旅行専用電車「ひので」

写真フィルムを再スキャンしている。
この一枚は、1965年3月撮影の155系「ひので」号。
自分たちの修学旅行で乗ったのではなく、修学旅行で京都駅に行った際、たまたま撮影したもの。
せっかくここ京都まで行ったのに、撮影したコマは、2枚だけだった。
このころ、修学旅行専用電車は、この「ひので」のほかに、「きぼう」もあり、
DCでは「おもいで」というのもあった。
「ひので」は、関東地区からの電車で、「「きぼう」は、関西からのもので、「おもいで」は東北地区からだった。
ちなみに、私たちの修学旅行は客車列車で、東京から名古屋までは夜行だった。

2017年9月13日水曜日

大宮工場わきで撮ったC60?

大宮工場脇を通過する高崎線の車内からの一枚。
ここを通過するときは、大宮工場に入場している機関車などが観察できた。
このカマは、C59かC60のどっちだろうか。
1963_8 の撮影がヒントになるかも・・・。
このカマの違いは、従輪の違いしか知らないので、ほんと59か、60のどっちだろうか。
ナンバープレートが鮮明であれば、すぐわかるのだが。