2017年10月31日火曜日

地元の踏切

今日で10月は、おしまい。
明日から11月、そして12月へと・・・。
1965_12 撮影の一枚は、地元の一枚。
高崎操車場を発車したC58牽引の貨物列車がやってきた。
撮影地のココは、「踏切」まちの場所。
この踏切は、のち陸橋の設置によって廃止されている。
こんな光景があったとは、信じがたいが、小学校通学以来、ずっとこの左の踏切を渡っていた。
この下り踏切は、「踏切警手」が常駐して、そろばん塾帰りによく立ち寄っていた。
その後、自動化され無人化されたが、上りの踏切は高崎操車場のハンプへの押し上げのため、結構あとまで存続していた。


2017年10月29日日曜日

高崎学検定

第五回高崎学検定を昨日(2017_10_28)、受検。
自己採点をすると、100問出題された内、72問正解で72点でした。
鉄道関係の出題は7問出まして、6問正解、1問が誤答でした。

その誤答してしまった問題とは・・・

高崎市内を通った路線の建設順として、正しいのはどれか?
①信越本線→上信電鉄→上越線→八高線
②上越線→信越本線→八高線→上信電鉄
③八高線→上信電鉄→信越本線→上越線
④上信電鉄→八高線→信越本線→上越線

いずれも戦前、1945年以前だとは分かっていたのですが、
とくに上信電鉄は軽便で開通し、けっこう古いと思っていましたし、信越本線も横川までは古いはず。比較的新しいのは上越線で、八高線はいつだか、見当が付きませんでした。

受検後、よく考えてみれば、これだけの知識であれば、①に○を付ければ正解だったのに、
④に○を付けてしまいました。
④は八高線が信越本線より古いなんておかしいはずでした。

 2005_11 高崎駅を発車したD51498。このころのD51の前照灯には、「ひさし」が付いていたのですね。


2017年10月28日土曜日

横川での一枚

わが撮り鉄人生において、横川での撮影は、大きな位置を占める。
これは、横川ならでの補機の連結風景で、EF63が165系急行「志賀」に連結されるところ。
この当時、長野・直江津方面の急行には、ヘッドマークが付いていた。
この画面で、その姿が少しであるがわかる。
この165系は、のちにロクサンと協調運転でき、碓氷線通過可能の169系となった。
1967_3 撮影。

2017年10月24日火曜日

「あさま」横川発車

1997_9_28 撮影。

EF63重連が「あさま」を押し上げる。
9月30日には、この碓氷線は用途廃止になった。
あれから20年を経過した。
1963年秋のアプト廃止から、碓氷新線開通の時から通ったので、この路線の思い入れも多い。


2017年10月20日金曜日

C61 20本線試運転

2017_10_20は、雨。
それでも、「汽笛が聞こえた」ので、いつものお立ち台へ出かけました。
停まっていました。C6120とオヤ121そしてDD51824の編成でした。
発車時刻は、いつもの「みなかみ」と同じ、9時56分。
雨なので、煙の出具合も上々。
3両編成なので、構図も決めやすい状況でした。
行く先は、水上でなく渋川あたりで折り返しかも?
そうそう、RM(Rail Magazine)411号が明日発売になりますが、
写真を投稿したので、見本本が今日届きました。
今号は、「鉄路の要衝・高崎」です。




2017年10月19日木曜日

撮影データ不明画像 1

撮影データ不明画像 1
ネガケースからはみ出した一枚の写真。

撮影日、場所、列車名などが不明なのです。
1 ホームは4番線。
2 EF60 61の電機。
3 左には、交直流の485系?特急電車で新車の雰囲気がある?
4 ホームの時計は7時50分。

謎解きできるかな?
4番線のホームは、「大阪駅」にあるが、1967年4月の時刻表では、時間帯に合う列車が見つからない。
EF60は、主に東海道、山陽本線で活躍していた。
季節は、服装から冬。
名古屋駅か京都駅も候補だ。
上野駅や東京駅ではない。

2017年10月16日月曜日

奥中山を下るD51+C60重連の130レ

1967_3_28は、春休みなので、東北本線の奥中山へ。
撮影地は、吉谷地のカーブ。
奥中山駅から盛岡方向に徒歩30分ぐらいだったか?
来るは来るは、次々に列車がやって来ました。
次年の「ヨンサントウ」電化に備えて、架線や架線柱が立ち始めていましたが、
ねらいは、下り列車、つまりSLにとっては登りの苦難の坂道。
下り列車で2本の「D51三重連」が撮影できました。
他は、この一枚のような「重連」の列車。
一部を除いて「重連」または、「三重連」だから、「重連」はめずらしくない状況でした。
しかも、坂を下る列車は、被写体にはならず、結構、「PASS」していたのです。
ぜいたくな話です。

「奥中山を下るD51+C60重連の130レ」▲。
 この130レは、なんと青森発上野行でした。

2017年10月12日木曜日

107系R15・R16編成譲渡回送される

107系が上信電鉄に譲渡回送されるだろう・・・と予想して、アリーナ北へ。
少し待っていると・・・。
やって来ましたDE10に牽かれた107系R15編成とR16編成の4両。
このあと、上信線に転線して上信の車両基地に収まりました。
譲渡されたのは、これで12両なので、これで全部。
このあとの話題は、いままでの上信電鉄のどんな車両が廃車(置き換え)になるかということ。
12両もの置き換えが発生するわけですから、上信の在籍車の半分にあたる計算になります。


2017年10月10日火曜日

黒磯駅で撮った貴重な一枚

1963_8 初旬。
東北本線の黒磯へ・・・。
ここは、交直の接点の駅なので、「交流機関車」が見られるとのことでした。
ただ、他の交直の接点と違って、構内の電気を切り替える方式。
そこで、2017_10_14 には、交直接点をもう少し、北方に持って行って、交直切り替えをする方式に変えるそうです。
そうすると、この写真のような「交流機関車」は、黒磯駅には乗り入れられなくなります。
つまり、この一枚の写真は、とても「貴重な一枚」になったのです。→再掲写真です。


新駅予定地付近で・・・

2017_10_10は、「旧客」回送を撮りに高崎操車場脇へ。
夏の暑さを思い起こすほどの午後3時40分過ぎ。
やって来ました。
EF64 1053に牽引された旧客。
今日アップするのは、「後追い」の一枚。
この場所は、「新駅」の予定地付近ですが、まだ、何の変化もありません。
でも、線路の北側では、道路工事が始まっていますが、駅新設とは関係なさそうです。


2017年10月7日土曜日

駅での「撮影に関してのお願い」

2017_10_7 は、107系がJR線から消える日。
高崎駅のホーム端で見かけた「撮影に関してのお願い」。
駅は、乗客さんが利用する公共の施設ですから、
撮影はここに書かれた注意を守っていきたいですね。


2017年10月5日木曜日

高崎駅西口の変化(2) 変貌している高崎市

2017_10_5 は、高崎駅西口周辺の変化を記録に出かけました。
この一枚は、ペデストリアンデッキに囲まれた「OPA」をねらいました。
間もなく開店です。
今日の段階は、「OPA]へ通ずるデッキや道路は、まだ工事中でした。
いろいろな角度から、この辺を眺めて見ると、けっこう「狭さ」を感じました。
デッキの陰で、空が見えにくくなったせいかもしれません。
それにしても、大きく変貌している高崎市の今を見てきました。



2017年10月4日水曜日

高崎駅西口の変化

1995_1_3 は、高崎駅北のお立ち台へ・・・。
22年前の高崎駅の西口周辺の一部を見ることができる。
正面のビルは「高崎ターミナルホテル」。
その右は、「SATY」ビル。
そして右端には、「高崎高島屋」が・・・。
2017年の秋、「SATY」の場所に「オーパ」が開店するし、高島屋まで、ペデストリアンデッキが駅からつながる。
そして、この写真の「107系が定期運用を9月末で終了」。


115系6連

2017_10_3 、上信へ移った107系を撮りに高崎駅西口付近へ・・・。
撮影後、帰りかけたとき、115系が駅方向に向かったのを見かけ、急いで駅北のお立ち台に移動。
115系の定期は、この時間はないはずなのにおかしいと思いました。
結局、「回送」と判明。
しばらく待機した後、上越線方向に静かに発車して行きました。
115系3両×2編成の6連でした。

2017年10月2日月曜日

1963年撮影の上信 デハ301?

1963_11_23 のころの撮影。
撮影地は(上州)一ノ宮、デハ301とネガケースには記入がある。
勤労感謝の日なので、上信の一ノ宮に行ったのだろうか?
でも、鉄分の撮影コマは、2コマばかりだ。
電車は、「デハ301」?で、
しかも、デハの運転台は「右」。
撮り鉄の一枚に加わった、貴重な一コマだ。

2017年10月1日日曜日

107系専用臨時運転

2017_10_1は、「ありがとう107系」の上越線水上からの復路を撮影に高崎駅へ。
ホームは、タイガーロープで規制がありました。
右が16時21分に到着した107系4連。
左は、211系。
この「ありがとう107系」は、 10月7日にも走ります。