2017年11月30日木曜日

クハ86湘南電車

1963_11_23 撮影の80系湘南電車。
先頭車クハ86形。
正面の二枚大窓のスタイルは、その後の電車の先駆けになった。
それまでは、三枚窓だったのです。
今の高崎機関区付近の高崎線を通過しているのだろう。

2017年11月28日火曜日

東武鉄道高崎線あと

2017_11_28 は、「長野堰の主要施設を訪ねる」講座に参加。
その途中、案内されたのが、この軌道あと。
高崎から渋川まで、昭和28年まで走っていた東武鉄道高崎線のチンチン電車が
長野堰を渡り、この道を通っていたとのことでした。
白いビニールひもは、電車の大きさを表しているんだとか。

2017年11月26日日曜日

211系と651系の並び

2017_11_25 は、東京千駄木で忘年会。
「鉄分」に溢れるお店でひとときを過ごしました。
ここへ行く前、高崎駅ホームで撮った一枚。
「今日の一枚」といった趣旨で撮りました。
右は、高崎地区に広がった211系、左は651系上野行き「草津」号。
この光景、しばらくは続きそうです。



2017年11月21日火曜日

旧吾妻線あとを歩いて、ダム見学へ

2017_11_13は、「八ッ場ダム」の「やんば紅葉狩りツアー」に参加。
この一枚、旧吾妻線のあとを歩いて、堤体を見渡せるところまで行きました。
2014年秋までは、ここを電車が走っていたのです。
2019年度(平成31年度)には、ダムは完成とのこと。
*

そうそう、「Rail Magazine」の1月号、№412号が発売になりました。
前号に次いで、この号にも私の投稿写真が掲載されています。
ネガを提供してのものなので、貴重な1枚だと思います。

2017年11月19日日曜日

また八ッ場での一枚

2007_11_17 には、吾妻線の川原湯温泉~岩島間を撮影に行っていた。
川原湯温泉東の吾妻川橋梁に差し掛かる115系電車。
2017_11_現在のココの橋梁には、「ベルトコンベア」が敷設され、骨材が搬送中だ。
撮影からちょうど10年たったのですね。
建設中の「八ッ場ダム」のコンクリートの打設も4割ほど進み、平成31年度にはダムは完成するようです。





2017年11月10日金曜日

10年前の八ッ場(やんば)

吾妻線の八ッ場地区に強い思い入れがある。
これは、その思い入れの一枚。
2007_11_17 、「小蓬莱(見晴らし台)」から115系3連を撮ったもの。
ちょうど10年前。
今ではこの見晴らし台からの眺めは、木々に隠れ、
その木々の間から見えるのが、「八ッ場ダム」の建設現場。
2017_11_7撮影▲
2007_11_17撮影▼。川原湯温泉駅に入線する115系の姿はもう見られない・・・。




2017年11月9日木曜日

廃車車体ED42とEF53

1963_11_23撮影だから、右に写っているED42は、この年の秋には「廃車」になったもの。
ナンバープレートははずされ、車輪に付いていたロッドも外されている。
左は、EF53だが、このころは「休車」状態だろうか。
ちなみに、ここの線路は休車や廃車予定の車がしばしば留置されているのは、
2017年の今も同じ。

2017年11月7日火曜日

樽沢トンネル

2017_11_7は、吾妻へ。
まず、吾妻渓谷の十二沢パーキングに駐車。
それから、吾妻川の右岸の遊歩道で小蓬莱(見晴らし台)へ。
ここでは、八ツ場ダムを下流側から俯瞰。
といっても、ダムの堤体は3割ほどコンクリートが打ちあがっていた。
帰りには、鹿飛び橋を渡り、この写真の場所へ。
2014年秋までこの吾妻線は、電車が通っていた場所。
今では、線路は新線に移って、この線は用途廃止になっている。
今でも、電車が来るような雰囲気を保っている。
ここは、「樽沢トンネル」。
日本一短いトンネルだった。


2017年11月6日月曜日

碓氷線廃止後の横川

1997_10ごろの撮影。
横川~軽井沢間の碓氷線がこの年の9月末で廃止された。
この一枚、1か月後の10月に横川を訪問。
地上の入れ替え信号機には×が付けられている。
右には、準鉄道記念物のED421の姿も見える。
このころは、手前のレールの錆も目立たっていない。
画面の中央奥には、鉄道文化むらが現在はできている。
この文化むらも、入場人員が減っているようで、運営のための募金もおこなわれると聞く。

2017年11月3日金曜日

一ノ倉沢

2017_11_3 は、谷川岳の一ノ倉沢の紅葉と岩壁撮影に。
午前3時30分起床でしたが、現地到着5時30分を過ぎていたので、朝日の差し込むシーンは撮れませんでした。
この一ノ倉沢の歩道沿いの岩にいくつものプレートが留まっていました。
この岩壁で遭難した若者の死を悼んだもので、ほとんどが昭和の後半、40年代のように見受けられました。
帰路、遺影らしき写真の額を持った方にすれ違いました。
また、車での帰り、上越線の踏切を横断。
時間があれば、ここで列車の写真を撮りたい!と・・・。